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通信カラオケという自己表現ツール ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

カラオケが都市部に住む女性たちの娯楽になったのはいつごろか、ご存知だろうか?

それが意外に最近。1992年暮れに「通信カラオケ」が市販されてからのことなのだ。

それまでのカラオケは音源にレーザーディスクやCDを使っていたため、店先に置けるディスク数はせいぜい数百枚。曲数にすれば二~三千曲だ。そこからリクエスト曲を手作業で選び出すのは骨が折れた。

また、お客が歌いたい新曲が出ても、レーザーディスクやCDをプレスして店頭に配布するには、どうしても一ヶ月はかかった。最新の流行歌を少しでも早く歌いたい若者層には物足りない。
というわけで、カラオケはそれまでは盛り場のバーやスナックで懐メロやフォークを歌う「オジサンたちの娯楽」に止まっていたのだ。

ところが、ミシンメーカー「ブラザー工業」(現在もパソコンプリンターやコピー機メーカーとして有名)の子会社「エクシング」がつくった「通信カラオケ」は、そんな欠点をすべて吹き飛ばしてしまった。

カラオケボックスに置いてある通信カラオケの端末機は、実はハイテクの塊である。

中身は、シンセサイザーなみの楽器の音色が詰まった音源ボードとパソコンレベルのCPUを積んだ「音楽自動演奏専用コンピューター」。そこに電話回線でデジタル信号に変換された「楽譜データ」を送り込むと、曲の演奏が始まる。原理は現在の音楽ネット配信に似ているが、当時は54キロビットのアナログ電話回線しかない時代(現在のブロードバンドは数十メガビットが普通)だ。譜面データは「MIDI」というデジタル信号に変換して送った。これだと、1曲が数十キロバイトとメール並みの軽さだったから、飲み屋のピンク電話の回線でも曲を送ることができた。
いったん送った曲データは、端末内部のハードディスクに貯蔵される。

こうして発売当初3000曲を内蔵して発売されたエクシング社の通信カラオケには、今では約六万曲が内蔵されている。今ではレコード会社が新譜の発売日とカラオケの配信日を揃えるのも当たり前。それでも大きさはミニコンポくらい。レーザーディスク時代には冷蔵庫並みにかさばったことを考えると画期的なサイズだ。

この通信カラオケと二人三脚で普及したのが「カラオケボックス」である。

それまでは郊外のロードサイドにだけ展開していたカラオケボックスが都心部に進出したのは、90年に「ビッグ・エコー」の商標で有名な「第一興商」が東京・渋谷に近い三軒茶屋に出店したテナントビルが第一号だった。
92年には前述の通信カラオケがカラオケボックスに置かれるようになり、都心部ビル型カラオケボックスは爆発的に広まった。

ちょうどバブル景気が崩壊した直後。カネのかからない娯楽としてカラオケは貴重だった。

昼間=学校帰りの中高校生が「レンタルリビングルーム」代わりに使う。
夜=サラリーマンや学生の二次会。
深夜~未明=終電を乗り逃がしたので始発まで時間潰し。
そんなライフスタイルが始まったのも、この「通信カラオケ+カラオケボックス」以降の現象である。

かくして「レジャー白書」06年版によると、過去1年間に一度でもカラオケに参加したことのある日本人は4540万人で外食、国内旅行、ドライブに次いで堂々の4位。

ところがその一方で「音楽鑑賞」は4040万人しかいない。

つまり「うたは歌うが、音楽は聞かない」という人が500万人もいる計算になる。

CDには3333億円(07年、出荷額)しか払わないのに、カラオケには7431億円を払う。

日本人にとって音楽は「聴くもの」よりは断然「うたうもの」なのだ。

通信カラオケ普及期の90年代前半から中頃にかけて「カラオケでよく歌われる曲」と「よくCDが売れる曲」の間に相関関係ができたのも、そんな現象のひとつと考えればわかりやすい。

安室奈美恵、華原朋美、trfといった「小室哲哉プロデュースもの」の全盛期といえば思い出してもらえるだろうか。

こうして、おもしろい現象が起きた。カラオケを通じて日本のポピュラー音楽は「自己表現消費」の商品のひとつに組み入れられていったのだ。

聴くだけなら、ライブにしろレコードにしろ、プロの演奏家や歌手の奏でる音楽を受け取るだけだが、歌うなら、自分から進んで曲を選び、声を出してメロディと詞を歌わなくてはいけない。そして歌うのが浜崎あゆみなのか北島三郎なのかAKB48なのかで歌い手の内面の個性が外部(カラオケボックスに同席している人間)に伝達される。

この「自己表現商品に音楽を使う」という手法は、そのまま携帯電話の着メロや着うたに引き継がれている。

「自己表現消費」の重要な要素が「その商品を使う自分を自分で承認できるか」という「自己承認」(ナルシシズム)であることは本欄でも何度か書いた。

ここで詞や曲は、歌い手の名前、容姿、ファッション、ライフスタイルを含めた一連の商品の一部でしかなくなる。

消費者にとって重要なのは「そのうたを歌うことで、歌手××がシンボライズする価値観を身に付ける」という行為だからだ。

安室奈美恵や浜崎あゆみがそういったファッションを含めたライフスタイル(生き様という意味もある)を積極的にマスメディアに載せることで、歌手としても人気を高めたのは、まさにその代表例である。

「うた」は相対的に重要度が低い。

だから、人気のある歌手でも「その代表曲は」と問われる、と意外に思い出せなかったりする。

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