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赤ちゃん生める病院がない! [「婦人公論」中央公論新社]

「十年ほど前なら、50歳を超えて部長にでもなれば、当直勤務はやらなくてもよかったんですが……産婦人科だけはそうも言ってられなくなったんです。私の年齢なら当直の回数は減ったものなのに、今は逆に増えている。他にこんな診療科目ありませんよ」

 そう言って苦笑する埼玉県・川口市立医療センターの栃木武一・産婦人科部長は、58歳。同センターの診療局長でもある栃木部長自身が、月に6回、つまり5日に一回は病院に泊まり込む宿直勤務をこなしている。他の診療科目、たとえば外科系なら、泊まりはせいぜい月3回程度である。

 しかも、当直が明けても、休めない。そのまま続けて翌日の勤務に突入、外来患者の診察や手術をこなす。そうしないとシフトが回らないくらい、産科の医師が足りないのだ。

 常勤の産婦人科医は4人しかいない。他は、栃木部長が講師を勤める日本大学医学部系の病院から、若手医師の応援をもらい、さらにセンターの近くで開業する医師にもシフトに入ってもらって、ようやく6人体制で当直を回している。本来は産婦人科医2人が常時当直している体制が理想だが、現実はほど遠い。

 断っておくが、これは過疎地の話ではない。また零細病院の話でもない。川口市は荒川を隔てて東京都の北側に隣接する人口47万人の大都市であり、同医療センターは17の診療科目に約90人の医師と539のベッドを抱える。埼玉県南東部の人口約70万人をカバーする、中核的な大規模医療施設なのだ。

 年間の分娩数は約800件にものぼる。当然、医師の負担は重くなる。

 例えば、医師になって4年目の男性医師(31)の場合——。朝8時に出勤し、9時から外来患者を診察。昼食を取る時間はまずない。が、それも当たり前になってしまった。午後は入院患者の診察のほか、週4日の手術日がある。午後5時から翌朝9時までは「宿直」の時間帯だが、担当患者はぽんと引き継ぐのもなかなか難しい。診察や手術が長引くと、帰宅が午前3時ごろになることも稀ではないという。

 それに加えて、前述の泊まり勤務が月6回なのである。さらに「オン・コール」と呼ばれる「自宅待機」は「1週間くらいの夏休みと、年末年始2,3日を除いて年中ずっと」だそうだ。この「オン・コール」からの夜間呼び出しも、平均して週に2回はあるというから過酷である。こうした緊急事態に備えて「自宅は病院から1時間以内」と決められている。

 日大系病院から応援に来ている女性医師(29)の場合は、川口での宿直に加えて元々の職場での宿直もあるので、泊まりは月10回。つまり3日に一回である。月15回というときもあって、さすがにそのときは「病院に住んでいるようなものか」と苦笑したそうだ。「最近は慣れました」とはいえ、働き始めたころは、あまりの体力的な過酷さに半年ほど生理が止まったという。

「泊まり明けの勤務、正直言って眠いです」。

 医師のひとりはそう言う。

「10分でも15分でも横になって眠りたいんですが、できない。机に突っ伏して眠れればラッキー」

「こんな状態では(産婦人科に)若い医師が来ない。このまま放置すれば、うちも閉鎖になりかねないですよ。そうしたら一体どうするんですか」
 栃木部長が危機感をつのらせるのには理由がある。現実に、医師の数が足りず、産婦人科の閉鎖に追い込まれる病院が全国各地で急増しているからだ。 

 同じ埼玉県の草加市にある草加市立病院は、05年3月から分娩の受け付け休止に追い込まれた。当初医師5人で発足したが、1人が個人的理由で退職、1人が体調不良で長期療養に。残る3人でかろうじて持ちこたえていたが、分娩数が月50件程度から60〜70に増加したため、「医療事故が起きてからでは遅い」と市が分娩の受け付け休止を決めた。

 23万人の草加市民にすれば、税金を払っている自分の街の市立病院でお産ができない。お産のために市外に出かけなくてはならない。おかしな事態である。市長や病院長があちこちの医大や医療法人に医師の派遣を働きかけたが、どこにも「産婦人科医の絶対数が足りない」と断られた。とうとう、市議会で問題になった。05年6月、同市議会は「臨月を迎えた妊婦を含む患者400人が転院を余儀なくされ、約1億7550万円の損失が生じた」として「木下博信市長の反省を求める決議」を全会一致で可決した。

 草加市も、川口市と同じように東京都に隣接するベッドタウンである。銀座から直通電車で40分しかかからない。医師不足から産科が閉鎖され、お産をする場所が消える「産科崩壊」は首都圏にまで忍び寄っているのだ。

 首都圏ですらこのありさまなのだから、非都市部の事態はもっと悪い。

 青森県十和田市では、クリーニング取次店を経営する日野口泰子さん(61)ら約10人の主婦たちが、スーパーの店頭や幼稚園・保育園などを回り、産科医の確保を求める署名を集め、同市に提出した。地元の十和田市立中央病院が05年春に産科を閉鎖してしまったからである。市内の妊婦は、産前検診や出産のため、車で片道1時間近くかけて八戸市や三沢市まで出かけていかなくてはならなくなった。隣の岩手県まで出かけて出産した人もいる、という。

 署名を始めたきっかけは、日野口さんの店先に集まる主婦たちの井戸端会議だったという。これまでに約1800人分の署名を集めた。日野口さんには、28歳になる息子が難産のすえ生まれたとき、死なずに済んだのは産科の病院があったおかげだという思いがある。

「(検診に行く)妊婦の負担は『きつい』なんてもんじゃないですよ。もう私は生まないけれど、若い人の不安は半端じゃない。人口の半分は女なのに、地域の中核病院の産科がもぬけの空なんて、どう考えてもおかしいじゃないですか」

 隣の岩手県でも事情は似たようなものだ。花巻市、遠野市、旧江刺市(現奥州市)などの地域中核病院で、産科の閉鎖が相次いでいるからだ。

「分娩場所を失った地域住民が分娩をするためには車で1時間、2時間もかかる最寄りの医療機関に行かざるを得ない。このため陣痛発来で移動中の車の中で分娩をしてしまった例や、胎動感の消失・出血など自己の体調不良があっても、遠方のため受診を躊躇し治療時期を逸してしまった例が相次いでいる」(岩手県医師会『いわて医報』05年10月号)

 皮肉なことに、花巻市や旧江刺市には東北新幹線の駅がある。新幹線の駅はあるのに、お産をする病院がない。何ともアンバランスな状態なのだ。

 こうした事態を受けて、岩手県は中国・瀋陽市の中国医科大から産婦人科の中国人医師を岩手医大に受け入れることを検討中だ(05年4月23日付朝日新聞)。診療経験や日本語の会話能力など、一定の基準を満たした外国人医師が指定病院で研修できる「臨床修練制度」を利用することにしている。制度そのものは88年からあるが、人手不足を補うために行政がこの制度を利用することは非常に珍しい。

 こうした医師不足のあおりを真っ先に食らうのは、言うまでもなく妊婦たちである。産科医がいなくなった地域からは、悲鳴に近い声が聞こえる。

「青森県は雪国です。雪の時期、妊婦が車で検診・出産に行くのはどれだけ負担になるか、考えたことはあるのでしょうか? 1人目を育児しながら遠方に行けというのでしょうか? いろいろ考えて、私は2人目をあきらめました。私の周りにはそういう方が多いです」(『東奥日報』ウエブ版に寄せられた30代主婦の投書)

 都会暮らしであっても、地方出身の女性にとっては、親元に戻っての「里帰り出産」は実現不可能な行為になりつつある。岐阜県高山市の高山赤十字病院のように、里帰り出産を受けつけない病院が多くなっているからだ。同院の場合、常勤医3人で年630例の分娩を扱うという過重労働状態が続いたため、約3割を占める里帰り出産を制限せざるをえなくなった。

 さて、それでは産婦人科の医師は実際にどのくらい減っているのだろうか。

 日本には約26万人の医師がいる。1975年の12万6000人に比べると、約30年間でほぼ倍に増えた計算である。循環器科(2・65倍)や消化器科(2・21倍)などは医師数の増加が目立つ。ところが、産婦人科だけは0・92倍と、逆に減少しているのだ(05年9月18日付日本経済新聞)。

 日本産婦人科医会の会員数も、91年の1万3801人をピークに減少に転じ、04年には約1万2450人になった。日本産婦人科学会が毎年新しく認定する「専門医」の数も、99年の364人から04年には271人に減少。つまり新しく産婦人科医になる若い医師が減っている。そのため、日本産婦人科医会員1万2450人のうち約3割が60歳以上と、高齢化が進んでいる。

 その結果、病院はどうなったか。驚くべき数字がある。

 1989年、産婦人科を持つ病院は2166あった。それが、04年には1469と、3分の2に激減しているのだ(医会調べ)。また、05年に日本産婦人科学会が、大学病院に医師の派遣を依頼している全国1096病院を対象に調査したところ、約1割にあたる117施設が、産婦人科医がまったくいなくなるか、いなくなることが確実になっている、という結果が出た。つまり「お産のできる病院」は急速に消えつつあるのだ。

 では、なぜ、産婦人科医は数が減ったのだろうか。

 産婦人科には、大きく分けて三つの専門領域がある。まず、赤ちゃんの分娩を扱う「周産期医療」。いわゆる「産科」のことだ。そして、腫瘍や筋腫を扱う「腫瘍」と、不妊治療を扱う「不妊内分泌」。つまり「婦人科」の領域だ。このうち、医師が宿直勤務をしなくてはいけないような緊急性を要するのは主に「周産期=産科」である。

 言うまでもなく、赤ちゃんは一日24時間のうちいつ生まれてくるかわからない。さらに、赤ちゃんの心音が突然止まってしまったり、母体から大量の出血が起きたりと、出産には「その場になってみないとわからない」予測不可能な危険が常につきまとう。しかも、いったん危険な状態になると、一分二分を争う手当てが必要だ。最悪の場合、母子とも死んでしまうことさえある。問題のない分娩なら医師が1人いれば済むが、緊急の手術にでもなれば、複数の医師がかかわらなくてはならない。もともと「産科」は緊急性が非常に高い診療科目なのだ。

 この「一日24時間いつ呼び出されるかわからない」という仕事の性格が、若い医師に敬遠される原因になった。若い世代の医師は、定時に帰宅できて、夜間に緊急の呼び出しもない眼科や皮膚科といった診療科目の方を好むのだ。

 日本産婦人科医会が01年に実施した「各大学の産婦人科医局員増加対策に関するアンケート調査」によると、89年以降に54大学で産婦人科に入った2783人のうち、437人が内科や眼科、精神科へと転科している。その理由には「仕事がきつい」「忙しすぎる」「当直がつらい」と言った文言が並ぶ。

 産婦人科の業務は、医師全体の業務の約1割を占めるといわれる。ところが、産婦人科の医師数は全体の約5%でしかない。つまり、単純に計算しても2倍の過重負担であることがわかる。例えば、同会の2000年の調査によれば、産婦人科医の当直回数は月平均4・7回で、全診療科のなかで最多。これは「救急関係」の3・1回をも上回る。「外科」2・3回の2倍以上である。「おめでた」というほのぼのとした印象とはうらはらに、産婦人科医は救急救命医以上の激務なのだ。

 もうひとつ、若い医師を産婦人科から遠ざけている原因は、患者が起こす民事訴訟の多さと、その請求金額が非常に大きいことだ。

 04年の「医事関係訴訟事件」の診療科目別の新規受け付け数では、産婦人科は143件。一見、内科
(272件)や外科(228件)、整形・形成外科(148件)ほど多くない(最高裁調べ)。ところが、これを医師1人あたりの数に計算し直すと、産婦人科は0.013件で抜きん出て1位になる。内科のほぼ5倍、外科の2倍である。

 しかも、産婦人科を相手取った訴訟の数や請求金額はさらに増える傾向にある。福島県立大野病院で04年12月に起きた、帝王切開手術中に患者の女性が出血性ショックで死亡した事件のように、医師が業務上過失致死容疑で警察に逮捕されてしまう例さえ出ている。

 医療ミスによって新生児が死んだり、何らかの後遺症が残ったことが裁判で認められた場合、その損害賠償金額は、ゼロ歳を起点に就労可能年齢を計算する。母親まで死んだり後遺症が残ったりした場合は、賠償金額も「2人分」になる。産婦人科の訴訟の請求金額が他の診療科目に比べて高い一因はこれである。1億円を超える訴訟も稀ではない。

 その賠償金は保険で支払われるとはいえ、いったん訴訟になれば、ただでさえ疲弊している医師の事務負担はまた増える。「それだけで日常業務が吹き飛んでしまう」と言う医師もいるほどだ。

 産科病院が減った三つ目の原因は、04年から始まった新人医師の「臨床研修制度」である。この制度は、医学部を卒業し、国家試験に合格した新人医師に2年間、全診療科目を回る臨床研修を義務づけている。この新人医師の指導者役として、大学医学部が中堅の医師を出先の病院からいっせいに引き上げ始めたのだ。そのため、ただでさえ減っている産婦人科医がますます一線の病院から姿を消していった。

 かくして、産科の現場は疲弊し切っている。厚生労働省のアンケート調査によれば、産婦人科医2200人のうち26%が「産科をやめたい」と考えている。 オーバーワークのあげく、産科診療で医療事故を起こしたか、起こしそうになった経験があると答えた医師は、何と53・5%にものぼっている。そんな空恐ろしい数字も出ている。

 こうして労働環境が悪化した結果、皮肉な現象が起きた。女性医師が産科の第一線を退く例が続出しているのである。

 東京都内に住むある女性医師(36)は、29歳のときに外科医の夫と結婚。1年半ほどして妊娠した。そのまま月5回の宿直をこなしつつ病院での勤務を続けていた。が、妊娠4ヶ月目のころ、外来患者を診察している途中、猛烈な動悸と、腹部全体がこむら返りを起こしたような激しい腹痛に襲われ、うずくまったまま動けなくなってしまった。切迫早産の症状だった。

 そのまま、子宮収縮抑制剤の点滴を受けつつ、自分の病院に入院。流産だけは免れたが、その後も出産まで自宅での静養を強いられた。

 その後、産科の現場からは離れた。現在は、都心のオフィス型クリニックで週3日、婦人科の診療だけを担当している。緊急性がないので気は楽だ。が、産科の現場に戻りたいとよく思う。

「どうやって元気な赤ちゃんを取り上げるか、すごく楽しかった。みんな『おめでとう』と言ってくれる世界は産科しかありませんしね。結婚前は喜んで当直にも行っていたものです。仕事は大好きだし、一生懸命やっていた。やりたくないわけじゃないです。一体どうしたらいいのかな」

 外科医の夫も激務で、家事を分担する余裕はない。産科の仕事と家事は、どうしても両立しないのだという。現場をいったん離れると、復帰するのに不安もある。非常勤の勤務を受け入れてくれる病院を探すのも難しい。

「(人手不足なので)妊娠すると上から怒られるんです。スタッフは足りているか、代わりはいるか考えつつ子どもを作らなくてはいけない。個人の人生設計としてはヘンですよね」

 そういう彼女は、自分のような「ママ女医」が非常勤でも勤務できる病院を探してマッチングする派遣会社を作れないかと考えている。

 大阪市近郊で働く女性医師(31)は、勤務先の病院の部長が開業のために辞めてしまい、「2日に1回宿直」という過酷な勤務条件になったのを機に「常勤」から「非常勤」の道を選んだ。非常勤の身分だと、午前中に外来患者を診察するだけでいい。泊まりがないのはもちろん、緊急呼び出しもないし、患者を受け持つこともない。

 結婚して2年半。夫は内科医だ。まだ子どもはいないが、子どもができた場合、常勤の産科医では家庭と両立しないのは目に見えていた。

「今までは生活のすべてが仕事でした。疲れ切ってしまって、他は何もできないんです。とても子どもを育てる環境じゃありません。それに、英会話を習うとか本を読むとか、教養を高めることだってしたかったんです」

 日本産婦人科医会が頭を痛めているのは、いま新しく産婦人科の専門医になる医師の半分以上が女性であることだ。彼女たちが結婚し子どもを持とうとすると、産科から離職してしまい、ますます人手不足に拍車がかかるのではないか。そう案ずるのだ。

 自分も妊娠・出産を経験した女性医師は、妊婦にとっては心強い理解者のはずである。が、現実の医療現場は、女医が妊娠し、子育てをすることを歓迎する環境ではない。何とも皮肉な話である。

(中央公論新社『婦人公論』2006年4月22日号)


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