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行定勲監督、おかえりなさい! [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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「週刊金曜日」をご購読されるような善男善女の皆様は、映画をご覧になるときどんな規準で作品を選ばれるのでしょう。

 やはりハンセンとかハンカクとかカンキョーホゴみたいな「テーマ買い」でしょうか。それとも案外ミーハーに「ヨンさま出てるから」みたいな「俳優買い」なのかもしれませんね。

 小生ですか?

 小生は変人ですので「監督買い」です。

「この監督の作品なら大丈夫」という規準で選びます。

 米国なら、史上最年少26歳でカンヌ映画祭パルム・ドールを取った天才、スティーブン・ソダーバーグ(オーシャンズ18だか19だかは嫌いですが)。

 時間軸がメチャクチャな不思議な作品を撮るクリストファー・ノーラン。

 天才と狂気の境界を疾走するデビッド・リンチ。

 スパイク・リーはここでも書きましたね。ベテランではマーチン・スコセッシ、いいなあ。

 英国では「トレインスポッティング」で有名になったダニー・ボイルが好き。

 フランスならリュック・ベッソンやパトリス・ル・コント作品は必ず見ます。

 日本人はおらんのか? おりますとも。

 犬童一心、岩井俊二、三木聡、中村哲也、三池崇史……まだ続けます? 

 中でも敬愛し、ほぼ全作品見ている監督は、一九六八年生まれの俊英・行定勲であります。

 ユキサダて誰やねん。はい、「セカチューの監督」と言えばイッパツでお分かりいただけるでしょう。

 いやいや、馬鹿にしてはいけません。「世界の中心で、愛をさけぶ」の原作小説は、映画にすると破滅的に退屈なストーリーなんですが、行定監督は原作にない「律子」(柴崎コウ)というキャラクターを付け加えて脚本を書き、映画を原作とはまったく違う、起伏ある物語に仕上げた。

 長澤まさみチャンの可憐さにもシビレましたが、行定監督の「ストーリーを自分で書く才能」には敬服したものです。

 そして行定作品はどれも照明が美しい。

 白熱灯のオレンジ色を生かして撮影した「ユキサダ・オレンジ」とでもいうべき色使いは、彼のシグネチャー(署名)になっています。そんな個性を持つ監督は日本には少ない。

 しかし!「北の零年」「春の雪」(〇五年)と、彼はトンデモ駄作を二本続けます。

「北の零年」は、明治維新直後の北海道開拓民の話ですが、吉永小百合の、横にシャ■プの液晶テレビが置いてありそうな絶望的に単調な演技(もしアレが演技と呼べるなら、ですが)が、見るも無残でした。

「春の雪」は三島由紀夫の「豊饒の海」が原作。

 その「人間嫌いの厭世家」の主人公に「爽やかな好青年」しか演じられない妻夫木聡を当てるという馬鹿げたミスキャストのせいでカネ返せ的失敗作に終わっています(竹内結子の超絶演技が唯一の救い)。

 ああ、行定監督は低予算で若者の群像劇(『きょうのできごと』とか『GO』とか、あのへん)を撮っていたころの方がよかったなあ。

 エラくなって大予算作品やるようになって彼もダメになったか。小生、落涙したものです。

 そんな行定監督が、新作「遠くの空に消えた」を公開しました。

 七年ぶりのオリジナル脚本、つまり自分でストーリーを書いた作品だそうです。

 行定さん、やっぱり、こっちの方が断然いいですよ。

 空港反対運動に騒然とする田園地帯を舞台にした、腕白少年たちと、どこか欠損を抱えた大人たちの群像劇。

 その複数のストーリーが、最後に奇跡のようにひとつになる。それもあの「ユキサダ・オレンジ」の「あるもの」によって。ファンタジックな物語ゆえ、アラは山ほどありますが、小生、なぜかは知らねど最後ウルウル来ました。

 もうすぐ次作「クローズド・ノート」も九月末から公開されるとか。

 今度も「大作」じゃなくて小品らしい。うれしいねえ。

 おかえりなさい、行定監督。

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松本人志 生涯汚点の失敗作 [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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 関西人というものは、テレビはもちろん学校・家庭と、どこであろうと「笑い」の中で育ちます。

 日常会話でユーモアのない人間は「おもろないやっちゃなァ」と人間失格の烙印を押され、学友や親兄弟にイジメられます。

 そんな文化圏で育った小生ですので、コメディには偏執狂的愛着がある。ありがたや、昨今はDVDが普及したおかげで、世界各国のコメディを観賞できる。おかげで良質のコメディには共通した性質がいくつかあることに気付きました。

1)良質のコメディは違う文化や言語の人間も笑わせる=その意味で英国コメディは強い。「モンティ・パイソン」や「ミスター・ビーン」は誰が見ても笑える。強欲、無知、虚栄といった人類共通のアホンダラぶりを的確に描くからです。米国の「サタデー・ナイト・ライブ」などは彼の国独特の人種、ゴシップネタが多くて異国人にはわかりづらい。

(2)シモネタ、差別ネタ、暴力ネタといった「社会の良識」(タブー)に挑戦する。

(3)「権力もカネもない弱い人間」の視点にいる。権力者を笑い者にする。

 前置きが長くなりました。そんな小生、ダウンタウンの「ごっつええ感じ」(91年〜97年、フジ系列放送)を見たときは、毎回ションベンちびるんじゃないかというほど笑った。頭のおかしな料理講師がお料理番組をメチャメチャにしていく「キャシィ塚本」シリーズのほか「しょうた!」「MR.BATER」などのコントは「コント55号」や「ゲバゲバ90分」「8時だョ!全員集合」に肩を並べる歴史的名作だと確信いたしました。

 その企画や構成を一手に引き受けてきた松本人志が5年かけて構想、監督・主演もしたというのですから、映画「大日本人」が公開されたときは胸が高鳴った。ええ、映画館に走りましたとも。

 しかし何としたことでしょう。チットモ笑えないのです。

 自称・他称天才マツモトの映画なのにこんなにつまらないなんて、小生のユーモア感覚が異常をきたしたかと思いきや、満員の客席(箸が転んでもおかしい女子高生で一杯)が終始クスリとも笑わずシーンとしている。

 ほか、誰に聞いて回っても「おもしろくなかった」という。これはもう、結論づけざるをえますまい。

「『大日本人』は松本人志のコメディアンとしてのキャリアに汚点を残す失敗作」と。

 なぜなんだ。首をひねり続けていたある日、ダウンタウン番組常連のコメディアン・俳優板尾創路(この人も優秀)の著作「板尾日記2」(リトル・モア)にこんな記述があるのに気が付いた。

「松本さん中心のコント番組の打ち合わせを、恵比寿のウェスティンホテルで行った。しかも最上階の1泊18万円強のスイートルームだ」

 これ読んだ瞬間、小生、シラけた。一瞬であほらしくなった。1泊18万円のスイートルームで打ち合わせ?

 何やねん、それ。そんなん「お笑い貴族」やんけ!

 よく考えてみりゃ、松本氏、1993年から2004年まで「高額納税者」のベストテンに必ず入ってるんですな。

 最高納税額は2億6340万円(95年)。同じ年、政治家の最高額は河野洋平氏の6330万円だった。桑田佳祐でも1億5000万円、プロ野球の落合博満選手でも1億6674億円だった。

 はっきり言っちゃえば松本氏は河野も落合も桑田もぶっ飛ばしちゃう大金持ち。その人気がもたらす影響力でいえば、もはや「権力者」そのものといえるでしょう。

 権力者の特徴は、回りに「NO」を言う人間がいなくなることです。チームワークでつくるテレビ番組に比べて、監督の裁量が大きい映画では、それがより露骨に出たのでしょう。

 それに、そもそも権力者を撃つのが「貧者の武器=笑い」なんだから、権力者がつくったコメディなんぞおもろいわけがない。

 松本さん、めげずに次は笑える映画を作ってくださいネ。

「お前なんぞに言われとないわい、やわらかウンコ!」

 そうそう、その意気ですよ。


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ハルバースタムが死んだ [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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 あああああああ悲しい。

 いつもふざけ切った駄文ばかり書きなぐっている小生にも、コレハ居住マヒヲ正サネバと思う時があります。

 自分の職業人生にとって終生倣うべき大切なことを教えてくれた、導師のような人物が物故された。そんなときです。

 小生にとってその「師」とは、アメリカ人ジャーナリストのデビッド・ハルバースタムであります。彼は四月二十三日に自動車事故に巻き込まれ、七十三歳で突然天国へ行ってしまった。

 彼の「ベスト&ブライテスト」という名作をご存知でしょうか。アメリカで最も家柄も頭がよい秀才たちが集まったケネディ政権が、どうしてベトナム戦争という世紀の愚行になだれ込んでいったのか。

 その一部始終を克明に再現したノンフィクションであり、かつて一読した小生は同業者のはしくれとして「どうやったらこんな話が取材できるんだ」と悶絶したものであります。

 そのハルバースタムにインタビューできる!

 そんなすごい仕事を命じられたのは、忘れもしない、九五年四月のことでした。

 当時、小生は三十二歳のガキんちょ雑誌記者。相手は世界的ジャーナリスト。どないすんねんとコーフン状態で前夜、徹夜のリサーチで気が付いた。

 何と、インタビューの当日が彼の誕生日じゃないですか。

 一計を案じた小生、翌日彼の泊まるホテルに行く前に銀座の文具店に寄って、浮世絵バースデイカードを買った。「次の傑作を楽しみにしています」と書き添えて。

 彼の部屋のドアをノックしたら、身長百九十センチのバカでかい白人のおっさんがぬぼーと出てきた。

 ハーバード時代にボート部で鍛えた、モリモリに分厚い胸板をスーツに包んでいる。

 はっきり言って気圧されました。

「まあ、入れや」

 そうは言うんだけど、この人、何とかしてよと言いたいくらい無愛想で無口、にこりともしないだなあ。

 もう、どうにでもなれ!ヤケクソで「ミスター・ハルバースタム、ハッピー・バースデイ!」とカードを渡したら、彼の表情が一変、ニカーと笑った。

「調べてきたな (You knew it) 」

 嗚呼、やはり同じ職業を共にする者同士、彼はぼくが必死で下調べをしてきたことを理解してくれたのです。

 そこからは、六十一歳の先輩記者との、くつろいだ会話になりました。そこで彼は教えてくれたのです。

「ジャーナリストは人気者でなくていい。真実を述べさえすればいい。例えそれが人々の聞きたくないことでもね」と。

「ベトナム介入は間違いであり、アメリカは必ず負ける」。一九六三年という早い段階でそう言った彼は、世間の激しいバッシングを受けたそうです。

「政治家は当選しなくちゃいけないからね。人気者でないといけないんだよ。でもジャーナリストにそんな必要はないね」。

 彼は断言しました。そしていろんなことを教えてくれた。

「真実を教えてくれる友人が十人いたら、百万人に嫌われても俺は平気だね」
「社会の主流の言うことはまず疑え。そして反駁しろ」。

 あのとき、小生の中で後戻りのできない変化が起きました。

「読者のみなさんと共に」とか言って読者や視聴者に媚びへつらうマスコミや、人気取りのために耳当たりの良い事ばかり言ってる自称ジャーナリストなんて、スットコドッコイのトンチキチン、要するにパチもん、ジャーナリズムごっこやんけ。ははははは。

 「おい、真実を書いてるか?嫌われることをためらうなよ」。

 今でも、記事を書くたびに導師の声が聞こえます。

 天上の師よ、小生はちゃんと読者に嫌われていますか?

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老齢団塊 五つの赤い風船コンサートに突入せよ [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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 小生いやしくもジャーナリストのはしくれ、危険があろうが薄気味悪かろうが、そこにニュースあらば現場を踏む覚悟は常にできております。

 しかし、ぐわわ、「五つの赤い風船 結成40周年記念コンサート」の告知を新聞で見たときはさすがにビビった。

 なんでメンバーが4人やのに5つの風船やねん、とか72年に解散したのになんで40周年やねんとか、細かいツッコミはこの際、なし!

「遠い世界に〜 旅に出ようか〜」って歌、中学の合唱コンクールとかで歌ったこと、ありません?

 あの文部省推薦の名曲「遠い世界に」をはじめ、70年前後に数々の名曲を生み、日本のフォーク・ムーブメントの走りにして中心だった大物、それが「五つの赤い風船」なんです。

(いや、おっちゃんも子どもやったしあまり知らんねんで)。

 恐る恐る会場に行ってみて、またビビった。そこはなんと靖国神社そば、東京・九段会館。

 くわあ、ここ「日本遺族会」の本部やんか。

「戦争を知らない子どもたち」が声を合わせて歌っている隣の部屋で、「予科練乙×期・空の会」「トラック・パラオ諸島慰霊友好親善団思い出の会」なんてやってる。

「死して護国の鬼」となられた英霊のご遺族と、血気盛んなゲバルト団塊の世代が乱闘、なんてなったらどーすんだ。

 いやしかし、蓋を開けてみれば杞憂でありました。ゲバルト団塊も、すっかり枯れておられた。

 なにせリーダーの西岡たかしはコンサート当日の5月27日が63歳の誕生日!

 ゲストもすごいぞ。「走れコウタロー」こと山本コウタロー・元参議院議員候補にして白鴎大学教授が59歳。

「戦争を知らない子供たち」こと杉田二郎は61歳。「帰ってきたヨッパライ」「あの素晴らしい愛をもう一度」を大ヒットさせた、元ザ・フォーク・クルセダーズの北山修・九州大学大学院医学研究院教授にして日本精神分析学会会長(60)。元「かぐや姫」の山田パンダなんか62歳だ! どうだ、参ったか。昔なら赤いチャンチャコ着て長寿を祝う齢だぞ。

 最近はアメリカ文学の翻訳家になっちゃったけど高校生で「受験生ブルース」を大ヒットさせた中川五郎(58)とか、テレビの相撲中継の途中で力士のマワシが落ちたという名曲「悲惨な戦い」を書いたなぎら健壱(55)なんて若い若い。

 ウヒヒ、今出た名前が全部わかった読者よ、貴兄も相当なオールドタイマーですな。

 とまあ、昔はサングラスや口ひげでキメていたみなさんも、今じゃ古本屋のオヤジか老バーテンダーみたいな風貌となり、話し方も何かフガフガしている。

 山本コウタローが「こないだ道で『ムツゴロウさんですか』と言われました」と痛い自分ネタをカマせば、北山教授は「今度会う時はみんな死んでるかもね〜」とお医者さんらしいブラックジョークで応酬。

「いや〜無理矢理脈々と生きとります」

「え〜メンバーが胆石になりまして」。

 おい、MCがだんだん定年退職者の同窓会に似てきたぞ。

 でもやっぱりギター持って歌うと

「力を合わせて/生きる事さえ/今では/みんな忘れてしまった/だけどボク達/若者がいる」

 と、地滑り的にタイムスリップしちゃうんだな。

 嗚呼、永遠の青春に生きる団塊フォークの諸先輩方。おつかれさまです。

 みなさんにはジャズやブルースのように「自然に加齢する」ことは許されんのですね。60過ぎても「明日の世界」を探しに行かにゃならんのですねえ。

 もう「明日」は来てますよ。今ここに。


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ボネガットさん、映画「ドレスデン」見てから逝かれました? [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

070423カート・ボネガットと映画「ドレスデン」

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 1945年2月13日から3日間で2万5000から4万人の市民が命を落とし、「ヒロシマ・ナガサキに次ぐ連合軍による非戦闘員の大量殺戮」と呼ばれたドイツ・ドレスデンの無差別爆撃(わたしゃ東京空襲の方がひどいと思うけど、『残酷比べ』しても無意味なので深入りはやめときます)をドイツ人自身が映画にしたというので、こら見に行かなあかん、と四月二十一日の公開を心待ちにしておりましたら、わわ一体何としたことでしょう、アメリカ人作家のカート・ボネガットが十一日に八十四歳で死んでしまいました。

 ううむユング先生、シンクロニシティ(必然性のある偶然)ってホントにあるんですね。

 何のこっちゃわからん? すんません。

 ボネガットは、ドレスデン空襲の生き残りなんです。

 一九四四年十二月、米陸軍の歩兵だった彼は、ドイツ軍が連合軍をメタメタにやっつけた最後の戦闘として有名な「バルジの戦い」で捕虜になり、ドレスデンに送られます。ドレスデンは十六世紀以来の古都、パリにも似た優美な街で、まだ空襲にも無傷でした。

 が、彼らの住まいは屠畜場のブタ小屋。しかし運命というのはわからんもんで、大空襲の夜、ボネガット青年は地下の冷蔵倉庫に飛び込み、皮を剥がれぶら下げられたウシに囲まれ(文字通り)皮肉にも自分の友軍が繰り広げる猛爆撃から命拾いします。

 戦後母国に戻った彼は新聞記者をやったりセールスマンをやったりのあと、一九五〇年作家としてデビュー。

 そして六九年に発表したのが、ドレスデン空襲をヒントにした代表作「スローターハウス5」(彼が生き延びた屠畜場の名前)でした。折しも世はベトナム反戦運動華やかなりしころ、この小説は反戦平和小説として拍手を持って迎えられます。

 んでまあ、小生も読んでみたことがあるんですが、これはそんなおめでたい小説なんかじゃない! 

 時間の流れの束縛から解放された主人公ビリー・ピルグリム(巡礼者の意味)が、何と自分の人生を未来から過去へ行ったり来たり。

 大富豪の娘とシヤワセに結婚したかと思うと、なぜか突然UFOが現れ拉致誘拐、トラルファマドール星人の動物園に収容されすったもんだ、そして最後にドレスデンで無差別爆撃が炸裂。

 おい、一体何やねん、これは。

 あぐぐ、ヒョーロンカ風にいえばですね、自由奔放な空想力の圧倒的な爆発。

 まあここだけの話、もうムチャムチャ、支離滅裂の一歩手前ですな。ははは。

 小生も最初、一読したときは「これはアッチ側へ行てもうた人の書いた話やな」と思いましたよ、正直言って。

 だが。よくよく読むと、あちこちに人間の残虐さ、偽善への諷刺や憎悪がちりばめられている。

 支離滅裂なのは、それをユーモア、ギャグで表現しているからなのです。

 そのせいか、ボネガットのファンは「爆笑問題」の太田光や、不条理まんがの天才・榎本俊二など、ねじれたユーモリストが多い。

 映画「ドレスデン、運命の日」で我々は、ボネガットが目にしたであろう大量破壊・大量殺戮を追体験できます。焼け焦げた石くれの砂丘になった街。かつては生きた人間だった炭人形の山。涙。絶望。

 これを見て小生、はっと思い当たった。”Slaughter”には「屠畜」のほかに「大虐殺」という意味があることを。

”Slaughter House”=「虐殺の家」。これ、地球のことちゃうんか。彼が描いたあほな人間どもは、今も破壊と殺戮を一向にやめないではありませんか。

 ボネガットさん、この映画、見てから逝かれました?


スローターハウス5 (ハヤカワ文庫 SF 302)

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安野モヨコ、土屋アンナ、椎名林檎って才能並べて大失敗映画「さくらん」 [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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 古来「船頭多くして船、山に登る」と申します。「指揮する人間が何人もいると、物事がロクでもない方向へ進んじゃう」、つまりトゥーマッチ・リーダーシップ・ノー・グッド。

 いやいや、この諺「コックが多すぎるとスープがダメになる」(too many cooks spoil the broth)って英語バージョンもちゃんとあります。洋の東西を問わず、人間ってだめだめなんですね。

 映画にもこの法則は適応されます。小生の経験から言うと、スター俳優がゾロゾロ出ている映画は「カネ返せ」的駄作が多いね。

 監督が、スターそれぞれに「見せ場」を与えようとするので、ストーリーがあっち行ったりこっち行ったり、何が言いたいのかよくわからん焦点ボケになっちゃう。アメリカ映画でいや「オーシャン10+X」とか、その典型だね。

 読者諸兄、「オールスター」的宣伝文句の映画にはどうかご注意されたい。

 まあ、いいや。最近、小生がもっとも期待に胸膨らませて見た映画といえば「さくらん」でありましょう。

 江戸時代、身売りされた少女が美貌の花魁へと成長していく成長譚なのですが、なにせ原作が安野モヨコのまんが。実はいいますと小生、「ハッピーマニア」「花とみつばち」「働きマン」と、彼女の作品が大好きなのです。作画能力、ストーリー構成力、人物造形、どれをとっても日本のまんが史、いやいやそれどころかポピュラー文化史に残る才能であることは間違いない。

 んで、主演が土屋アンナと来た。正直に告白しましょう。小生、ミクシィで彼女のファンコミュに二つも入ってます。ははははは。いやはや、おっちゃんがいいトシこいてすみません。「下妻物語」ですっかりヤラレちゃったんです。

 監督はあの写真家、蜷川実花。彼女の写す赤い金魚の何と美しいことか(映画でも、金魚に対するオブセッシブな愛着があちこちに顔を出します)。ホントほれぼれします。

 そしてダメ押しに、音楽が椎名林檎だ。小生、拙著「Jポップの心象風景」で一章割いて彼女の「娘による母殺しの風景」について書いている。彼女は日本の女ジム・モリソンじゃないのかとさえ思っておるのです。

 んでもう、わくわくドキドキして映画館に入った。そして2時間後、しくしく泣きながら映画館を走り去った。何でこんなことになっちゃんだと叫びつつ。

 確かに、生け花、着物、建築、行灯や提灯の光など、美術は息を呑むほど美しい。このへんの美的センスはさすがです。

 さすがなんだが、この映画、どうも4人の才能がお互いのいいところを潰し合っているようなところがある。

 例えば、椎名の音楽は騒々しすぎて、時に蜷川の描写を邪魔します。

 土屋の端正な容貌とワイルドな演技は、貧農出身の花魁にはどっかヘンだ。

 そして悲しいかな、ストーリーが空中分解してしまう(原作はそんなことない)。ゴーイング・ノーホエアなのです。ワンショットワンショットそれぞれは美しいのだけど、つなげると「んで結局、何が言いたいねん」というお話になっちゃう。うるるる。

 30歳前後のとんがったねーちゃん、いや失礼、才気溢れる女性を集めて話題先行・F1層にアピール、てなマーケティング的いぎたない計算があったとすると、裏目に出ましたな。

 これがハリウッドのとんでもゲイシャ映画「さゆり」への本国からの回答なのかね。

 嗚呼どっちもええ勝負やなあ。(敬称略)

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最強の社会落後者・穂村弘を愛す [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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(問)次の英文を訳しなさい。バーズオバフェザー、フロックトゥゲザー。

 わからん? 高校の英語の授業でやったじゃないですか御同輩。「同じ羽根の色の鳥は群れたがる」。すなわち、同類、相求む。

 小生も例に漏れません。自分と似た人を本で読んだりすると、おともだちになれそうで、何だかウレシクって、勝手に親近感を感じちゃうンです。

 ただ小生の場合困ったことは、本欄でも書きましたが、世間様が騒いでいるものを疑うという悪癖があるため、未だにワンセグもポッドキャスティングもチンプンカンプン、DVDレコーダーさえ未所有という情けないありさま。こんな痴れ者が親近感を抱く方というと、やはり先方もどこか世間とズレてる。否「どこか」どころか「すごく」ズレてる人が多い。

 例えば故・中島らも師。躁鬱にしてアル中。東京での対談の仕事に大阪から新幹線で出かけたはいいが、飲酒酩酊のうえ仕事すっぽかして帰阪、なぜか岐阜やら京都やらで途中下車を繰り返して行方不明に。最後は大麻所持で逮捕されたり階段から落っこちて物故されたりと、ここまで世間とズレると、親近感は通過して深い畏敬の念持て頭を垂れるほかありません。

 その意味でここしばらく小生の密かなアイドルとなっているのは、穂村弘氏であります。

 誰やねんそれ。はい、歌人さんです。最初に断っときますけどね、すんごくいい短歌をつくる人ですよ、ほむほむは。「どこからこんな言葉が出てくるのか」という切れ味の鋭い言葉を連ね、鮮やかな都市や恋の情景を切り出してみせる。 

「終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて」 「ハイジャック犯を愛した人質の少女の爪のマニキュアの色」 「チューニング混じるラジオが助手席で眠るおまえに見せる波の夢」

 著書多数。「もうおうちにかえりましょう」「本当はちがうんだ日記」等々。が、句集よりエッセイ集が多い。といいますのは、その世間からのズレっぷりが、もはや芸とも呼べる域に達していて、そっちの話の方がおもしろいからであります。 

 1962年生まれの課長さんだそうですから、小生と変わらぬおっちゃんです。が、彼は生まれてこの方一度も独り暮らしをしたことがない。家を借りたことがない。海外旅行、料理、洗濯、骨折、手術、投票、合コン、ソープランド、献血、犬・猫を飼う、髪形を変える、一切したことなし。

結婚など論外。チューリップとバラの区別がつかない。近眼なのだがメガネにレンズが入っていない。コンタクトレンズを入れ、わざわざ素通しのメガネフレームだけを着用している。特技は、午前3時の寝床の中、仰向けの姿勢を崩さぬまま棒状の菓子パンを食い尽すこと。

 ああ、なんてすごいんだ。

 穂村氏は静かに自分を笑います。自分は「人生の経験値が低い世界音痴」だ、と。

 でも、本を閉じたあと、彼のささやく声が聞こえるのです。

「でも、ぼくはちっとも困ってないよ」と。

 そう、大勢が「やらなくちゃいけない」と血眼になっている事なんて、実はほとんどどうでもいいんじゃないの?

「世間の常識」ってやつがハナクソのように思えてきます。

 穂村さん、今度しゃぶしゃぶでも一緒に行きませんか? 38歳になるまで食べたことがなかったんでしょ?

ぼくは酒が一滴も飲めません。イエイ。



現実入門―ほんとにみんなこんなことを? (光文社文庫)

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  • 作者: 穂村 弘
  • 出版社/メーカー: 光文社
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本当はちがうんだ日記 (集英社文庫)

本当はちがうんだ日記 (集英社文庫)

  • 作者: 穂村 弘
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2008/09
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世界音痴

世界音痴

  • 作者: 穂村 弘
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2002/03
  • メディア: 単行本



もうおうちへかえりましょう

もうおうちへかえりましょう

  • 作者: 穂村 弘
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2004/05
  • メディア: 単行本



現実入門

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  • 作者: 穂村 弘
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2005/03/23
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映画でもアメリカ人に戦争で負けた 硫黄島 [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

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ふざけ切った駄文ばかり書き散らしている報いと申しますか、小生、最終学歴がアイビーリーグ校の修士だと言っても誰も信じてくれません。

 またあのウツケ者のホラに違いないという顏を皆様なさいます。

 でもホントなんです。

 で何を専攻したの?よくぞ聞いてくださった。「国際安全保障論」つまり「軍事学」なんです。

 戦争に関する実学とでもいいましょうか。何せわが祖国が60年の平和に居眠りしている間にも、血みどろの戦争を大小取り混ぜ繰り返した国の学校です。宝の山でした。核兵器の作り方だとか、レニングラードを核攻撃した場合の命中率計算だとか、テロリズムとマスメディアのケーススタディとか、あの時ばかりは二年間クソまじめに取り組みましたですよ。

 しかし何でまたそんなもん勉強したの?それはですね、何故ニンゲンは叡知の限りを尽くして破壊し殺戮するのか、理由を知りたかったからです。

 だって、なぜ戦争が起きるのか知らんかったら、戦争の防ぎようもないでしょ?戦争は、人間が手足を動かして初めて始まる「実務」なんです。実務を予防するには実務が必要です。「センソー反対」と叫んでりゃええと思っとる平和ボケには、小生なりたくなかった。

 こういう人間が戦争映画を見ると、どうしてもヒネた見方をします。

 名優クリント・イーストウッドが監督、渡辺謙が主演した「硫黄島からの手紙」を見たとき、小生が好対照として思い浮かべたのは、同じ硫黄島攻防戦をアメリカの視座で描いた「硫黄島の星条旗」ではなかった。

 05年末に公開された日本映画「男たちの大和〜YAMATO」でした。

 DVDでよくご覧いただきたいのですが、「男たちの大和」には「殺す側の人間」(つまり米兵)が一人も姿を現しません。

 敵軍が米国であることすら曖昧です。

 登場人物は「二度と会えない君を守る」とかで、機銃掃射に引き裂かれ、海に沈み、尊い命を犠牲にします(そういや、恋人が待つ若人、新婚の若夫婦、子を抱える夫婦、母を想う若者と、登場人物がうじゃうじゃ出てくるのは、どんな観客でも感情移入できてマーケティング的には気が利いてますが、ストーリーの焦点がボケちゃったのが惜しかったですね。まあその話はまたの機会に)。

 が、彼らを死に追いやる邪悪な力は、まるで天災のように描かれている。当然、日本兵の砲弾に血を噴く米国人兵士なんて、とんでもない。絶対出てきません。

 似ているといえば、翌年に公開された「日本沈没」です。

 この映画で「守りたい人がいるんです。奇跡は起きます。起こしてみせます」と自らの命を捨て深海に沈みゆく草彅クンを見たとき、半睡状態にあった魯鈍な小生は、一瞬「あれ?これ、大和だっけ、日本沈没だっけ?」と錯乱しました。

 まあどっちもチンボツ映画ですからどうでもいいんですけど。

 結局「大和」での米軍は、日本を沈没させる天変地異と同等でしかない。つまり人間としては描かれないままなのです。

 よく見比べていただきたい。イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」は「戦争なんて『人知を尽くした殺し合い』にすぎない」という視点で透徹しております。

 日本人が殺します。アメリカ人も殺します。残虐さ、臆病さ、卑怯さ。そこに国籍は関係ない。

 だからこの映画はフェアだ。投降した日本兵を「見張りがメンド臭いから」と家畜のように虐殺する米兵までもきっちり描いている。

 この逆を、日本映画は描くことができるでしょうか? まあ無理でしょう。

 なんか、映画でも日本はアメリカに敗れたような気がして、悔しい。がるる。



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日本のチャリティー・コンサートって田舎の中学の弁論大会みたいだぞ [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

 ここだけの話ですが、小生実は大変な拗ね者でありまして、世の大勢が愛好するものに背を向けたがる悪癖があります。讀売ジャイアンツ、ドコモの携帯電話、ウィンドウズにイナバウアー、桜塚やっくん等々、その忌避の対象は無差別きわまりない。よーするにマイナー贔屓。多数派を疑う。流行りものを嫌う。当然、世事に疎くなります。よくまあこんな痴れ者に記者が勤まるものであります。

 そんな虚けでありますから、1980年にアイルランドから「U2」というマイナーな4人組バンド(11月末に8年ぶりに来日しましたね)がデビューしたときも、水晶のようなギターとダイナミックな歌に一撃で魅了されたくせに、3年して彼らが「WAR」というアルバムで世界的大スターになるや「もういいや」と聞くのをやめてしまいました。わしが聞かんでもみなさんがスターにしてくれますわな、と。

 そのU2、正確にはシンガーのボノに再会したのは、93年でした。大学院の図書館で手に取った雑誌を読んでいて、驚きのあまり椅子から転げ落ちた。ボノが、こともあろうに小説「悪魔の詩」の作者であるインド系イギリス人作家・サルマーン・ルシュディーと肩を組んでいる写真がデカデカと出ているではありませんか。

 これがいかに危険な行為か、おわかりでしょうか。ルシュディー氏は、89年、イランのホメイニ師によって、その小説「悪魔の詩」がイスラム教を冒涜しているとして、死刑を宣告されているのです。

 この死刑宣告はルシュディー氏本人以外にも、出版や翻訳に携わった者全てに適用され、実行者には数億円の懸賞金まで約束されました。日本では翻訳者の五十嵐一・筑波大助教授が91年に殺害されたほか、トルコやイタリア、ノルウエイでは合計40人近くが死傷しています。

 そんな中、写真だけならまだしも、U2はあろうことかルシュディー氏の詞を自分たちの曲にして発表までした。これはすなわち、自ら進んでイスラム原理主義者たちの暗殺リストに載ることに他なりません。

 さすがの小生も、これにはおったまげた。ボノは、命がけで、宗教による表現の自由の弾圧に抵抗することを宣言していたのです。表現の自由は芸術家の命だ。ルシュディーを殺すならおれも殺してみろ、と。

 さて、ここで高慢かましてよかですか? 日本でも「チャリティー・コンサート」なるものが大はやりです。曰く「エイズ撲滅」「環境保護」「戦争反対」等々。いや、いいんですよ。みなさん善意でやってらっしゃる。やらんよりやったほうがよっぽどいい。やってください。

 でも、何だか、どれも「とっくに社会で合意済みの話」ばかりじゃないですか。田舎の中学の弁論大会みたいだ。

 英語で「見解が分かれる」ことをcontroversialといいます。ボノの例だってそう。アメリカのビースティー・ボーイズが仕掛けた「フリー・チベット・コンサート」も、コントロバーシャルな代表例でしょう。

 賛否はともかく、人々は「悪魔の詩」だけでなくイスラムについて、表現の自由について、中国のチベット自治区の人権問題について関心を持ち、考えるようになった。ポピュラー音楽には、そんな力だってあるのです。

 なのに。日本では、いじめられ、自殺を考える中学生を励ます歌を誰も出さないのは、なぜなんでしょうね。親に虐待される子どもの絶望を代弁して歌う人がちっとも出て来ないのは、なぜなんでしょうね。 

 日本の自称「アーティスト」さん。何で、そんなに静かなんですか?



War

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悪魔の詩 上

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  • 出版社/メーカー: 新泉社
  • 発売日: 1990/02
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悪魔の詩 下

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  • 作者: サルマン・ラシュディ
  • 出版社/メーカー: 新泉社
  • 発売日: 1990/09
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東京もそろそろ多文化都市の音楽を生み始めた!バング・ラッシーを聞きなさい。 [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

わわわ寒い。

 寒くなると小生、大学院留学時代を過ごしたマンハッタンの街を思い出します。

 会社の愛に背を向け休職届けを放り投げ、勇ましく華の都・紐育に乗り込んだまではいいが、給料は止まるわ貯金はお寒いわで、電卓をはじいてみたら一日に使える金額が何と五ドル。ぎゃわっ。

 赤貧と耐乏、腹と背中がくっつきそうな毎日。そんな寒風吹きすさぶ夕暮れ、街をよろばい歩いておると、一瞬、胃袋が暴動を起こすんじゃないかと思うくらいうまそうなカレーの匂いが漂ってきた。嗚呼もうだめだ、ヤケクソだ。ぐらりと意識が遠のき、はっと我に返ると、小さなインド料理店のテーブルに座っておりました。

 空腹と濃厚なマサラの香りで朦朧とする意識に、流麗な音楽が流れ込んできた。見回すと、店の片隅で白衣に褐色の肌の2人が、楽器を演奏している。インド音楽にそう詳しくない小生でも、それがシタールという弦楽器とタブラという打楽器であることはすぐわかりました。

 ふへえ、こんな何の変哲もない飯屋でまでミュージシャンが演奏しているのか。何とも音楽家の層が厚いことよなあ。

 ぼんやりと思い出しました。そのころ、彼の地ではビル・ラズウエルなど先鋭的なのミュージシャンが、ジャズやテクノにインド音楽のリズムや楽器を取り入れ、斬新な音楽を生み出していました。

 ロンドンではタルビン・シンやバリー・サグー等々パキスタンやインド移民の二世たちが、故郷の音楽をテクノビートにサンプリングし、ソリッドなダンス音楽を作り出していました。

 ああ、こういうことだったのか。この街やロンドン、パリでは、世界じゅうから集まって来た移民が、すぐ隣でチャカポコと演奏しておるのだ。こうやってこの街は世界の音楽を吸い込み、ミックスしてはまた新しい音楽を生み落としておるのだ。移民にドアを閉ざした閉鎖都市・東京では考えられないことであるよなあ。うらやましいなあ。かれこれ十余年も前の話です。

 しかし最近になってわがトーキョーも様子が変わってきた。過日「バング・ラッシー」というインド人と日本人の2人組に出会いました。一言でいえば、東京を拠点に活動するインド・エレクトロミュージック・デュオであります。

 南インドはアンドラブラデシュ生まれ、カナダ育ちのラージ・ラマヤ(39)はトーキョーに来て10年。故郷インドで親戚が映画スタジオを経営しているため、帰省しては古典音楽家を招いて録音に励みました。

 東京に持ち帰ってパーカッショニストの立岩潤三(40)(もちろんタブラも叩く)と2人でコンピューター上でミックスし、ダンスミュージックに仕上げていきます。

 こうやってでき上がったアルバム「リアル・リフレッシャー」、まあみなさん、これが実にスリリングでかっこええ。こんな音が東京から? ニューヨークかロンドンじゃないの?

「潤三のつくるカレーはうまい。インド魂があるんだよね」

 傍らで寡黙に頷く立岩を指して、ラマヤは微笑みます。ふだんはギターを弾き歌うごく普通の欧米型ミュージシャンでもあります。それがなぜ東京で活動することにしたのか、その答えがおもしろかった。

「テレビCMや着メロとか、トーキョーは消費文化が発達しているから音楽の需要も多い。ミュージシャンが食っていくにはアメリカよりチャンスがあるね」

おお、着メロがそんなところでお役に立っていたとはしらなんだ。

「摩擦のないところに新しいものは生まれない」

 そういえば昔、NYで知り合った中国系の映画監督クリスティン・チョイがそう言ってました。

 東京もどんどん移民を受け入れればいいのに。イラン系だラテン系だ中国系だと、異文化が流れ込み、ぶつかり合って新しい音楽が生まれればいい。現に、日本人だけで固まってチマチマ作っている「Jポップ」なんて、ホント終わってますから。

 それにしても、あの時マンハッタンで食った羊肉カレーとナンはすごくうまかったなあ。


リアル・リフレッシャー

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: DYNASTIC RECORDS
  • 発売日: 2006/10/21
  • メディア: CD



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ヨンさまは外務省より強力だぞ〜冬ソナミュージカルへGO! [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

 キム氏は元朝鮮日報のニューヨーク支局長、小生の大学院留学時代の同窓生です。国は違えど同業の先輩、良心的な人柄と博識ぶりに敬服した小生、十余年を経た今も芝蘭之交を結ぶ栄に浴しております。

 その氏が数年ぶりに東京を訪問、拙宅にご招待しました。

 いつもなら、北朝鮮の核開発とか韓国の経済情勢とか、国際関係修士号保持者らしい話題で談論風発たるのですが、この日はちょっと問うてみたのです。「貴公、我が国におけるペ・ヨンジョン公(よーするにヨン様)フィーバーを如何思われん」と。すると子、曰く。”Oh, it makes us feel SO good.”(韓国人としては実に気分がいいですなあ)。

 キム氏曰く。今まで、表向きはともかく、韓国人は日本のドラマや映画が大好きだった。だが、日本人は韓国の作品にはちっとも振り向いてくれない。その「片思い」が、やっと「両思い」になった。

 しかも何と韓国男優が日本女性にモテモテ。愉快にあらざるを得ん也(とても愉快だ)。普段は理知的なキム氏が喜色満面、ムフフムフフとおっしゃるのです。

 しかし引っ張りますね、韓流ブームってのは。「冬のソナタ」がNHK-BSで放映されたのが03年でしょ。90年代「香港ブーム」ってのがあって、やれトニー・レオンだアンディ・ラウだと大騒ぎしていたのが2年かそこらでヘナヘナとしぼんじゃったのを見た小生としては、ヨン様も持って1年じゃろとナメてたが甘かった。

 冬ソナが一段落したと思ったら今度はチャングムだ、ヨン様が中休みならイ・ヨンエ姫だと、おお、今や「東洋のハリウッド」の栄冠はソウルが香港から奪取した感さえあります。

 毒を食らうば皿まで。行ってきました。「冬のソナタ ザ・ミュージカル」。

 いやはやしかし、会場の新宿コマ劇場に入ったとたん、これはもう阿鼻叫喚の世界ですな。冬ソナクッキーに冬ソナケーキ、ネックレスにTシャツと土産物売りが声を枯らして絶叫、女性客が押し合いへし合い、バーゲンセールのようなありさま。着席して見回せば、そこはオバチャン、もとい、妙齢のご婦人方の海でした。2100席あるだだっ広い会場に男性はワシしかおらん。その隣客の会話も「パク・ヨンハって向こうじゃレギュラー番組ないじゃない」「延世劇場公演も日本人だらけでねえ」と、モノスゴク濃い。うう何だか肩身が狭いよう。

 DVD7枚、全20話という悠久たる連ドラを2時間に短縮したせいか、ミュージカルの展開は轟然猛速ですが、みなさん元番組を見ているらしく支障は全くないご様子。電光掲示板に日本語訳が流れます。「永遠にこの愛 夜空に輝く星に賭けて」「ああ もう私たちを引き裂くことはできない」。うくく、お尻がこちょばい。

 でも、思ったのです。茨城県から団体バスで来た農家のおっかさんがハンカチ片手にウルウルしているのを見て。

 これて立派な国際交流やんけ、と。

 普通の日本人が、東京のど真ん中で、ハングルのミュージカルを見て涙を流すなんて、10年前には想像もできなかった。竹島だ靖国だと「違う点」ばかりを荒立てているより、韓国人も恋をする「同じ人間だってこと」を、ごくフツーのオバチャンに、こんなにもわかりやすく教えてくれた冬ソナの威力は、すごい。

 小生だって、キム氏という友がいたからこそ「煎じ詰めれば韓国人も日本人もそんな大差ない」と肌で知ったのです。

 ね、ヨン様がやってのけたことに比べたら、外務省や総理大臣がウダウダやってることなんて、屁みたいなものだと思いませんか?



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子どもの本当の父親は母親しか知らないのだ [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

 どこの国の格言か忘れましたが「子どもの本当の父親は、母親しか知らない」というのがあるそうです。

 言われてみれば、まったくその通りであります。それを聞いた小生、当時交際しておったご婦人に、いやァ恐ろしいことを言うねェ、などとのん気なことを申しておりましたら、その女性、急に真顔になって「いやいや、誰が父親か母親本人にもよくわからないことがある」と言うではありませんか。小生の背筋に冷たいものが走ったことは言うまでもありません。案の定といいますか、間もなくその女性には「他に好きな男ができた」とフラれました。あああああ。

 いやまあ、そんな話はどうでもよろしい。米国のマイノリティ問題を描かせたら右に出る者はいない俊英、スパイク・リー監督が、これまた傑作『セレブの種』という映画をつくりました。

 ストーリーはこうです。ハーバードMBAを持つアフリカ系のジャックは、製薬会社で働く若きエリートですが、会社の不正を上司に報告したせいでクビになり、あげくに銀行口座まで凍結されて一文無しになってしまいます。そこに現れたのが、元カノで、今はレズビアンに転じた(アメリカでは実際よくある話)、これまたエリートビジネスウーマンのファティマ。彼女は、同性愛の恋人との間に子をもうけたいと願い、何とジャックに「種づけイッパツ一万ドル」という「お仕事」を提案します。

 レズなんやし子どもなんか諦めたらええやんけなどと思うのは、小生がジェンダーフリー後進国・ニッポンの男児たるゆえ。女の強欲、おっとまちがえた、母性愛は空のように広く海のように深いのであります。こうした「母母子家庭」は米国都市部ではごく普通の現象です。

 というわけで、最初は逃げ回っていたジャックも、カネの必要には勝てずこの新しいキャリアに大いに励み、最後には19人のベビーの「父親」になるのですが、これが社会問題化、テレビでは特番が組まれるわ議会の公聴会には呼ばれるわの大騒ぎになる。

 賢明なる読者にはもうお気付きでしょう。この映画、「売春=カネを代償に体を売る職業」の男女の立場をひっくり返した寓話なのです。「すべての労働者はその身体以外に売るべきものを持たない売春婦である」とおっしゃったのはマルクスだったかエンゲルスだったか、まあどうでもいいや、それ言ったおっさんは正しかった。例えば、ファティマにジャックの「優秀さ」を聞いたレズビアン仲間が、彼を取り囲んですっぽんぽんにし「品定め」する場面がある。これなど、男女が反対なら、いまこの瞬間にも世界中で行われている行為でありましょう。男性が女性に長年強いてきた恥辱にはっと気付かされる場面です(でも笑えます)。

 この映画がリアルなのは、女性が経済力をつけた昨今、このような事件が現実に起きてもちっとも不思議ではないということです。

 はっきり言っちゃえば、女性に経済力があれば、その子どもの父親を誰にするかという決定権は女性にある。つまり、人類史上初めて、誰のDNAを残すかという種の保存の決定権は、女性側に奪取されちゃったのであります。あな恐ろしや。この事態が来るのが怖くて、男性は有史以来、女性を経済・文化・社会的に抑圧し続けたのですね、フェミニストの先生方。わきゃあ。男にはきっつい時代やなあ。



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「ロックは若者文化」などとホンキで言っているヤカラがおったら腹の底から笑ってやれ [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

 今年も盛夏、多数の「野外ロックフェスティバル」が各地で盛況、誠に結構なことであります。

個人的な思い出を振り返りますに、いやはやウドーさんには、ほんとヤラれちゃいました。だって、ジェフ・ベックとサンタナといえばぼくの中学のときのギター・ヒーローでしょ。プリテンダーズは高校・大学のときに夢中だったし、ドゥービー・ブラザースはまあ趣味じゃないけど本物を見られることなんて滅多にないし、バディ・ガイは三十越してから夢中のブルースヒーローだし、って、そんな顔ぶれを一堂に揃えられたら、一体どないせいちゅーんですか。見に行かないわけにいかないじゃないですか!

 というわけで行ってきました。「ウドー・ミュージック・フェスティバル」。遠路はるばる御殿場までオートバイで片道2時間半。入場料は驚愕の一万七千円。

 いるわいるわ、ロックファンでにぎわう会場・富士スピードウエイ! しかしあれれ、入りますと、何だかいきなり普通の野外ロックフェスとは雰囲気が違う。

 う、客席に並ぶロケンローラーのみなさまのご容姿を見よ。禿頭、薄毛、肥満、ビール腹、銀髪(あるいはそれを無理矢理茶髪に染めた金タワシヘア)と、なんだかまるで両国国技館か府中競馬場のようなありさまではありませんか。隣人の会話に耳を澄ませば「イヤぁ、こないだ××株を▲円で売り抜けてね」といやにナマ臭い。ステージの合間にフットサルに興じる不届きモノの若者なんていません。みなさま『日経新聞』や『週刊新潮』を黙々と読みふける、缶ビールと柿の種で乾杯し酩酊される、さらにはレジャーシートを敷き昏々と午睡をしていらっしゃる。嗚呼何としたことでしょう、まさにここはロック中年パラダイスだったのであります。

 おっとっと、天に唾してはおれません。かくいう筆者も四十三歳と七ヶ月、立派なおっちゃんなのであります。かつてピストルズだラモーンズだ東京ロッカーズだと大暴れしていた元パンクス少年も、あのとき「親不孝者」と泣き叫んでいた母と違わぬ老齢になりました。許してくださいおふくろさん。

 いやいや! 小生などまだまだ浅学非才の若輩者。元ヒッピー、フォーク・全共闘世代の諸先輩方に至っては、今や六十歳を超えられ、場合によっては孫もいる、もはや長寿と健康をお祝いすべきご高齢に達しておられます。

 そう、賢明なる読者諸兄にはもうお分かりでしょう。いまだなお「ロックは若者文化」などとホンキで言っている輩がおったら、腹の底から笑ってやってください。ロックは今や、親の世代からも公認される、安全で無難な文化と成り果てたのです。エリック・クラプトンのコンサートなどご覧ください。客の年齢といい、チケットのバカ高さといい、千昌夫のディナーショーとどこが違うのでしょう。

 40年前のロック・フォークにしても30年前のパンクにしても、あんなモノは音楽じゃない、ゴミだカスだ不良だと大人から社会のクズ扱いされながら、なにくそと花を開かせたのです。だから若者よ、今ごろロックなんかやっているキミをおっちゃんはカッコいいとは思わんね。「こんなの音楽じゃねえ」「聞くに耐えん」。ぼくたちがそう言って怒り狂うような音楽をどうか作ってくれませんか。ラップなんかいい線だと思うんだがなあ。ははははは。

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