ネット結婚、世界的に増殖! ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]
二月にアメリカに取材に行ったとき、 インタビューした60歳の女性社会学者が「最近、カレシができたの」とうれしそうに話すので「へえ、どこで出会ったんですか」と聞いた。
すると躊躇なく「インターネットよ!」と笑顔で答えた。
「日本じゃ、まだ『ネットで出会った』とは言えないみたいですよ」
「まだ社会的に恥ずかしいことなの?」
「アメリカは違うんですか?」
「今じゃ、もうスタンダードね!」
最近、私の周囲ではネット、特にソーシャルネットワークサービス(SNS)で知り合った相手と結婚する人が増えている。
私のフェイスブック友達アメリカ人女性アイラは、やはりフェイスブックで出会ったイギリス人のスティーブと結婚、オクラホマからイギリスのバーミンガムに引っ越してしまった。
どこで知り合ったんだと聞いたら「フェイスブックで」という。
メッセージを交換するうちに、音楽や映画、ジョークのセンスが合うので仲良くなり、電話(もちろんスカイプ)で大西洋をはさんで話し合うようになった。
そして彼女がイギリスに旅して対面した時にはもう、恋に落ちていた。
古城で赤のウエディングドレスを着て、ヒュー・グラントみたいなスティーブの隣で微笑むアイラのウエディングフォトもフェイスブックで見た。
「できすぎ」な話だが、二人は仲良く暮らしている。
アメリカ人だけではない。私の友達のライター日本人男性は、ミクシィのコミュニティで出会った女性と結婚して、この間子どもが生まれた。
アメリカ発の「まじめな」出会いサイト「match.com」(その名も『出会いドットコム』だ)で知り合った日本人同士が三ヶ月でつきあい始め、一年後に結婚してしまった例も知っている。
そのうちにネット結婚もごく当たり前になり「新郎新婦はヤフーで巡り会われました」と結婚式でアナウンスされる日本人夫婦も増えるだろう。
ネットで出会って結婚したカップルを見ていると、みんな出会ってから結婚するまでの日がものすごく短い。
一体どうしたことかと思って聞いてみると、だいたい話が一致している。
フェイスブックでは大好きなアニメやコメディ、写真をYouTubeからのリンクで見せ合うことができるし、好きな音楽を鳴らして教え合うこともできる。
ミクシィなら「エルモ」のファンコミュニティで知り合った、「くだらないことで頭がいっぱい」というギャグコミュで等等。
要するに最初から「共通の趣味/感性/価値観」というのがウエブ上に掲示されているのだ。
私はこういうウエブサイトが可能にした自己表現を「内面の個性の可視化」と呼んでいる。リアルの世界での外見からはわからない内的属性が、ブログやSNSではわかりやすく見えるようになっているのだ。
昔ならこういう「個性が可視化されている」のは運動部系やバンド系だった(だから、そういう人はだいたいモテた)のだが、
歴史マニア女性=「歴女」だとか
「鉄道マニア」=「鉄ちゃん」だとか、
昔は「地味」でモテなかった個性までが市民権を獲得してしまった。
これは「歴史マニア」や「鉄道マニア」がブログなどで自分の個性を美しく可視化できるようになったことが大きな原因だと思う。
もともと「social network」は「友達づくり」という意味だ。
日本語では”society”は「社会」と翻訳されるが、英語では「社交」「人付き合い」「仲間」に近い。
現実のパーティーやサークル活動から恋に落ちる男女が生まれるように、SNSが「出会いサイト」になっても、ごく当然かつ自然である。
そのSNSに「個性の可視化」という特性が加わった。
デジカメやビデオカメラ、そしてその受け皿である写真ブログやYouTubeが世界規模で普及し「個性の可視化」が急速に大衆化したせいである。
昔なら、つきあい始めた相手が「どんな内面の持ち主か」を知るには時間がかかった。
相手の部屋に遊びに行き、昔のアルバムを見たり、一緒に音楽を聴いたり、カラオケを歌いに行ったりという「内面の個性」を知るプロセスこそが「恋愛」「交際」「デート」だった。
今の高齢者世代の見合い結婚夫婦などは、相手の内面を知るのに「一生」をかけていた。
結婚生活そのものが「内面の個性を知る」プロセスだったのである。
しかし、ネットで出会ったカップルはまったく逆のプロセスをたどる。
まずは内面の個性を先に知り、それからリアルの交際を始めるのである。
だから、リアルに出会った瞬間には「昔からあなたのことを知っていたような気がする」という感覚を味わう。
おおネット結婚万歳! いやいや、まだわからない。
そういうカップルが一緒になってまだ日が浅いので、何年か経つとどうなるのか、まだサンプルがないのだ。
すると躊躇なく「インターネットよ!」と笑顔で答えた。
「日本じゃ、まだ『ネットで出会った』とは言えないみたいですよ」
「まだ社会的に恥ずかしいことなの?」
「アメリカは違うんですか?」
「今じゃ、もうスタンダードね!」
最近、私の周囲ではネット、特にソーシャルネットワークサービス(SNS)で知り合った相手と結婚する人が増えている。
私のフェイスブック友達アメリカ人女性アイラは、やはりフェイスブックで出会ったイギリス人のスティーブと結婚、オクラホマからイギリスのバーミンガムに引っ越してしまった。
どこで知り合ったんだと聞いたら「フェイスブックで」という。
メッセージを交換するうちに、音楽や映画、ジョークのセンスが合うので仲良くなり、電話(もちろんスカイプ)で大西洋をはさんで話し合うようになった。
そして彼女がイギリスに旅して対面した時にはもう、恋に落ちていた。
古城で赤のウエディングドレスを着て、ヒュー・グラントみたいなスティーブの隣で微笑むアイラのウエディングフォトもフェイスブックで見た。
「できすぎ」な話だが、二人は仲良く暮らしている。
アメリカ人だけではない。私の友達のライター日本人男性は、ミクシィのコミュニティで出会った女性と結婚して、この間子どもが生まれた。
アメリカ発の「まじめな」出会いサイト「match.com」(その名も『出会いドットコム』だ)で知り合った日本人同士が三ヶ月でつきあい始め、一年後に結婚してしまった例も知っている。
そのうちにネット結婚もごく当たり前になり「新郎新婦はヤフーで巡り会われました」と結婚式でアナウンスされる日本人夫婦も増えるだろう。
ネットで出会って結婚したカップルを見ていると、みんな出会ってから結婚するまでの日がものすごく短い。
一体どうしたことかと思って聞いてみると、だいたい話が一致している。
フェイスブックでは大好きなアニメやコメディ、写真をYouTubeからのリンクで見せ合うことができるし、好きな音楽を鳴らして教え合うこともできる。
ミクシィなら「エルモ」のファンコミュニティで知り合った、「くだらないことで頭がいっぱい」というギャグコミュで等等。
要するに最初から「共通の趣味/感性/価値観」というのがウエブ上に掲示されているのだ。
私はこういうウエブサイトが可能にした自己表現を「内面の個性の可視化」と呼んでいる。リアルの世界での外見からはわからない内的属性が、ブログやSNSではわかりやすく見えるようになっているのだ。
昔ならこういう「個性が可視化されている」のは運動部系やバンド系だった(だから、そういう人はだいたいモテた)のだが、
歴史マニア女性=「歴女」だとか
「鉄道マニア」=「鉄ちゃん」だとか、
昔は「地味」でモテなかった個性までが市民権を獲得してしまった。
これは「歴史マニア」や「鉄道マニア」がブログなどで自分の個性を美しく可視化できるようになったことが大きな原因だと思う。
もともと「social network」は「友達づくり」という意味だ。
日本語では”society”は「社会」と翻訳されるが、英語では「社交」「人付き合い」「仲間」に近い。
現実のパーティーやサークル活動から恋に落ちる男女が生まれるように、SNSが「出会いサイト」になっても、ごく当然かつ自然である。
そのSNSに「個性の可視化」という特性が加わった。
デジカメやビデオカメラ、そしてその受け皿である写真ブログやYouTubeが世界規模で普及し「個性の可視化」が急速に大衆化したせいである。
昔なら、つきあい始めた相手が「どんな内面の持ち主か」を知るには時間がかかった。
相手の部屋に遊びに行き、昔のアルバムを見たり、一緒に音楽を聴いたり、カラオケを歌いに行ったりという「内面の個性」を知るプロセスこそが「恋愛」「交際」「デート」だった。
今の高齢者世代の見合い結婚夫婦などは、相手の内面を知るのに「一生」をかけていた。
結婚生活そのものが「内面の個性を知る」プロセスだったのである。
しかし、ネットで出会ったカップルはまったく逆のプロセスをたどる。
まずは内面の個性を先に知り、それからリアルの交際を始めるのである。
だから、リアルに出会った瞬間には「昔からあなたのことを知っていたような気がする」という感覚を味わう。
おおネット結婚万歳! いやいや、まだわからない。
そういうカップルが一緒になってまだ日が浅いので、何年か経つとどうなるのか、まだサンプルがないのだ。