So-net無料ブログ作成

時代はお笑い2.0へ! ヒトラー総統がクリスマスにお怒りのようですよ! [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

y2bimages.jpg そーいやー最近テレビ全然見てへんなあ。

 ホンマ地上波なんかこの前見たのいつやろ? 思い出されへん。

 等々、猛暑に朦朧とする頭で横臥・放屁などしつつ思索しておりました。

 だいたいサラリーマン記者やって早朝から未明まで農奴労働していたころにゃ、定時にテレビの前におるなんてできるわけあらへん。カンチエッチしよもぼくは死にましぇんもレンタルビデオで見たもん。

 HDレコーダーなんて便利なもんが出たんで買ったはいいが、録画してまで見たい番組なんかまずないことに気付いてアフターフェスティバル。自慢じゃないが小学生だった30+x年前には「テレビジャンキー」とまで言われたわしが、なぜ?

 ああああわかった。YouTubeのせいだわ。い

 えね、最近MacBookを買ってキッチンテーブルに置いてるんですよ。それがネットにつながってるから、毎晩お笑い動画を見て毎晩笑い転げておる。

 浅越ゴエの「スーパーマリオブラザースのマリオさんが集めたコインを申告していなかったとして東京国税局に逮捕されました」て「しっくりこないニュース」シリーズとか、マッシュルームカット・銀縁メガネのブサイクなデブが「親の財産食いつぶす〜ちょろいぜ〜」と歌って行進、イタすぎるニート芸人「ガリガリガリクソン」とか、関西に住んでる妹が「これおもろいで」とYouTubeのURLをメールで送ってきよる。

 それだけじゃない。なんせとにかくキーワードぶち込んで検索すりゃたいていのモンは出てくる。

 先般崩御されしマイケル陛下のインタビュー番組も、英米でしか放送しなかったの、全部見たぞおれ(オプラ・ウインフリのインタビュー / 'Living with Michael Jackson'

 要するに「世界中よってたかって録画する巨大HDレコーダー」みたいなもんだわな。

「アメリカのどっかの田舎町食堂で椅子につまずいて転倒、ガラス窓を突き破って道路に転げ落ちるウエイトレス」なんて爆笑実画もある。

 いやあ、断言するが今の日本の地上波テレビでYouTubeよりオモロイ局なんてないね。

 しかもYouTubeは最近じゃどっかの無名お笑いクリエーターの作品発表の場になっとる。一人が傑作動画をアップすると、また誰かが対抗して同じネタでアップ。連歌ですな。

 最近私のお気に入りは「ヒトラー総統がお怒りのようです」シリーズだ。

 これ元は「ヒトラー最期の12日間」てマジメなドイツ映画、包囲され崩壊寸前のベルリンでヒトラーが将校たち相手にキレて怒鳴りまくる5分ほどにシーンに日本語字幕を勝手につけちゃうってバカバカしいシロモノ。

 「クリスマスについてお怒りのようです」って最高傑作じゃ「クリスマス中止命令」を出したのに無視されたモテない童貞ヒトラーが激怒するちゅう設定です。

「ドクオだって言ったヤツあれウソかよ!!」
「結局童貞はいつものキモオタメンバーだ!!」
「ニコ厨のくせにバーカ!!」
「揚げ句の果てはキモヲタだ引き籠りだと言われ気付いたらNEETの仲間入りだ!」

 とまあ、ドイツ第三帝国独裁者がアキバ系社会落後者みたいな情けない話しとる。

 おまけに

「お前らだいっキライだ〜!」
「畜生め〜!」
「おっぱいぷる〜んぷるん」

とか、意味不明の字幕もホントにヒトラーが日本語でそう言っているような空耳が。まあ見て。ホントに笑えるから。2万8531回も再生されているから、DVDならけっこうなヒットだぞ。

 あまりによくできているので「ヒトラー総統ドラえもんについて語る」「コミケに必死なヒトラー」とか「総統アンパンマンを語る」とまあ、一体どこのヒマなやつがこんなにイカれたこと考えとるんじゃというくらい、どかどか爆笑作品がアップされとる。

「ヒトラーが松岡修造だったら」(暑苦しい)とか「ヒトラー総統が地デジ大使(そうです。『ハダカで何が悪い!』の名せりふで有名なアノ方です)にお怒りのようです」とかも笑えますぜ〜。

「総統は金融危機にお怒りのようです」ってけっこうインテリな作品もあるんだが、金融用語が高度すぎてアクセス数はいまいち伸びない。ははははは。

 これだけよくできた動画がみんな作者不詳なんだからすごい。

 大多数の無名の人たちの中に、こんなにユーモアのセンスがあるヤツがいるなんて、やってみないと分からないもんだね。

 お笑いも少数エリートの「芸人」とか「放送作家」が独占できる時代じゃねーな、こりゃ。だって、こっちの方がおもしろいんだもん。

(今回はブログにしてみんなに感謝されますな。リンク張りまくりや。下のがオリジナルね。YouTubeがおもしろすぎて思わずこっちも買ってしまった)





nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:お笑い

なぜあながは買い物がやめられないのか?個性崇拝とナルシシズム消費 ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

 例えばあなたがケータイの機種変更をしたとしよう。最初にやることは何だろう? 

 自分好みのストラップを付ける。シールを貼ったり、ラインストーンを貼ったりして、自分なりのデコレーションをするかもしれない。そこまで凝らない人でも、待ち受け画面をひこにゃんやEXILEのイラストや写真にするくらいはあるんじゃないかな。

 携帯電話は同じ機種が何十万台と作られる画一的な大量生産品だから、基本的には大量の他人の持ち物と同じだ。「他人と同じじゃイヤ」と思う人ほど、自分なりのデコレで「パーソナライズ」(個性化)をしてケータイを「自分だけのもの」に改造するのだ。

 さて、ここでケータイを買う人に「持ち物が他人と同じじゃイヤ」という心理が働いていることにお気付きだろうか。

 こうした「他人と違う自分だけの特性」のことを「個性」という。個性は本来、外からは見えない人間の内面だ。ケータイを持つ人は「携帯電話」というモノが、その個性が見えるように改造する。つまり他者に「自分の内面を伝える」という表現手段としてケータイが機能しているのだ。

 例えデコレしなくても、カシオのGショックケータイを使うのかiPhoneを使うのか等々、機種選びだけでも個性は伝わるはずだ。

 ちょっと難しい言葉だが、こういう「自分の内面を他者に伝えるモノ」のことを社会学や心理学で「シンボリック・メディア」という。

 クルマなんかもそうだ。赤いBMWに乗っている人と、白い軽トラに乗っている人とでは、その職業や性別、価値観、収入など他者に伝わる個性が当然違う(それが事実かどうかは別として、だが)。

 つまり2009年の日本人にとって「お買い物」とは個性の表現、すなわち「自己表現」なのだ。

「そんなの、当然じゃないの? お洋服だってアクセだって個性を表現するために買うだし」と思うあなた。いえ、この現象が始まったのはごく最近なのだ。

 1980年代前半まで(特に高度経済成長期)日本人は「世間並み」「よそ様並み」に豊かになりたい、つまり「他人と同じになりたい」と呪文のように言っていた。

 だから隣の家がクーラーやクルマを買えば、負けじとウチも買っていたのだ。国民の七割が「ウチは中流」などと経済統計上の所得格差とはかけ離れた自己認識を語っていたのも1970年代のことだ。

 ところが、バブル景気前後になってモノの豊かさが飽和点に達すると、クーラーやクルマは普及し尽くしてしまう。そこで出てきたのが「個性信仰」だった。「人と違う自分がいい」と言い出したのだ。

 例えば文部省が政策を大転換して小学校に「個人差教育」を導入したのは1984年。この前提にあるのは「誰もが表現すべき自己=個性を持っているはずだ」という「個性信仰」である。

 結果「自己表現ブーム」が起きた。若者はギターを買ってバンドブーム。中高年は競ってワープロで「自分史」を書いた。これに便乗してワープロ、自分史講座、バンド雑誌等々、「自己表現の商品化」が始まった。つまり自己表現=消費行為になったのだ。

 1984年に小学校に入った新入生は、今年31歳のはずだ。この前後から下の世代は「自分には人と違う個性がなければならない」という個性信仰を学校と家庭教育で叩き込まれている。そこを狙って「大衆が自己表現をするための商品」が次々に開発された。

 1992年に登場した通信カラオケが好例だろう。北島三郎を歌うのかAKB48を歌うのかで、はっきり個性は表現できる。最近では、ブログやプロフをネット上に立ち上げることも自己表現消費のわかりやすい例だ(無料でも、みなさんを含む消費者が商品を売ったおカネで企業がネット会社に広告費を払っているのですから間接的にカネを払っているのと同じ)。

 自己表現消費で大事なことは「その消費をした自分を承認できるかどうか」である。つまり関心はモノそのものではなく、そのモノを所有した自分に焦点がある。

 例えばあなたが、機能やデザイン、価格がまったく同じ女性服を見つけたと仮定しよう。

 表参道のセレクトショップで買うのと、ジャスコのワゴンセールで買うのと、どちらを選ぶだろうか。表参道でしょうね。

 つまりあなたを満足させるのは「洋服のデザインや機能」というモノではなく「買い物を表参道でする」という「自分の姿」なのだ。

 これを社会経済学では「ナルシシズム消費」という。ここでナルシシズムとは「自己陶酔」ではなく「自己承認」=「そういう自分を自分で認められるか」と理解しておいてほしい。これをみなさんは無意識に「自分らしいかどうか」という言葉で表現しているはずだ。

 あるいは「自己満足」という素朴な言葉でこの行動を説明していることもあるだろう。「自己」を「満足」させる行為とは、自己承認に他ならない。みなさん無意識に正確な表現をしている。

 その意味で、今の日本では、すべての消費行為は自己表現であり、そういう自分を自分が承認できるかどうかが意思決定の規準になっている。

モノに限らない。どこに旅行に行こう? どの学校で英会話を習おう? すべての消費の場面であなたは「その消費をした自分を承認できるかどうか」を自分に問うているはずだ。

カネさえあれば、自分を表現してナルシシズムも満たしてくれる。それがショッピングなら、依存症になるのは道理かもしれない。学校も家庭も「あなたには個性があるはずだ」「それを表現しなくてはならない」とずっと呪文のように説き続けていたのだから。


「欲望」と資本主義―終りなき拡張の論理 (講談社現代新書)

「欲望」と資本主義―終りなき拡張の論理 (講談社現代新書)

  • 作者: 佐伯 啓思
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1993/06
  • メディア: 新書



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ショッピング

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。