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縁結び機能を共同体があきらめた=「婚活」の正体 ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]


「婚活」という言葉が出てきたとき、これはうまい言い換えだと感心してしまった。

「婚活」つまり「結婚活動」の厳密な定義は一定しないが、雑ぱくにくくってしまうと、インターネットの「真面目な出会い系サイト」や「ツヴァイ」など結婚紹介所に登録する、お見合いパーティーに参加するといった結婚相手ハンティング。および、より良い相手と結ばれるための「自分磨き活動」。そんなところらしい。

「結婚相手も、こちらから能動的に探し求めないと、待っているだけでは来てくれない」という意味で「就職活動=就活」から派生した言葉である。

 本欄で何度も強調していることだが、日本人女性のライフスタイルを根本的に変革したのは1986年の男女雇用機会均等法である。

 この法律で、女性の男性の就業・賃金・待遇上の差別は禁止された。女性は男性と企業従業員、つまりサラリーマンとして同等の地位を手に入れた。ありていに言うと女性も男性と「経済的地位=おカネの力」ではまったく対等、もはや女性は男性におカネのために従属する必要がなくなったということだ。

 かくて激変した女性のライフスタイルのために、様々な「言い換え」の言葉が作られた。

 男に奢ってもらわなくても一人で外食や旅を楽しめるだけの財力があるから「おひとりさま」。この言葉をエッセイストの岩下久美子が世に送り出したのは1999年だ。

 結婚しなくても子どもがいなくて経済的にはまったく困らないから、30歳独身・子ナシ女性を明るく「負け犬」と酒井順子が呼んだのが03年。もはや経済的「死活問題」ではないからこそ、酒井は独身女性を「負け犬」と堂々と呼ぶことができたのである。

 こうした「かつてはネガティブとされた対象をポジティブに言い換える」行為は、アフリカ系アメリカ人が”nigger”(クロンボ)という蔑称でお互いを呼び合い、侮蔑のニュアンスを薄めていったり、”black”(黒人)を”African”(アフリカ系)と言い換えたりした経過によく似ている。

「婚活」という言葉もそれに似ている。

「ワタクシ、夫とはお見合いパーティーで出会いまして」「カレとはヤフーで出会ったの〜」と堂々とカミングアウトできる人はまだ少数派である。実際、隠している人が多い。

 これは、女性が経済的に自立したという現実とは裏腹に「重要なパートナーとは、所属する共同体(ルビ:コミュニティ)の人間関係の中で出会うべきだ」という伝統的な価値観がまだ深層心理に、あるいは少なくとも社会の保守層には生き残っているからだ。

 だから「ネットで出会った相手とお試しデートしまくってます」というより「婚活中です」と言う方が「恥かしい」という感覚は薄い(念のために言っておくと、『共同体』とは家族や地縁といった伝統的なものだけではない。勤務先の会社、友人、学校の同窓生、サークル、バイト先も共同体だ)。

 雇用機会均等法以前はどうだったのか。「結婚適齢期」(これも死語だが)の女性が独身でいると、お母さんや親戚、近所の世話焼きオバサンが「いい男性がいるわよ」と縁談を持ち込んだりした。共同体が「結婚相談所」や「ネット出会い」の原型にあたる機能を果たしていたのだ。

 ところが、この共同体の機能が崩壊してしまった。

 そもそも娘は遠い都市部で働いていて実家には盆暮れくらいしか帰らないから縁談の持ちかけようがない。

 世話を焼いても「自立した女性は結婚相手くらい自分で探す」という社会的合意があるので拒絶される。こうしてコミュニティは「縁結び」の機能を放棄しつつある。

(今でも保守的な共同体では生き残っている。都市部から帰省した女性がしつこく縁談を押し付けられて激怒するのは両者に認識ギャップがあるから)。

 ところが女性の側にも困った事情が発生した。経済的に自立したはいいが、今度は仕事が忙しくてプライベートな時間が激減してしまったのである。

 かつて「花嫁修業中」と呼ばれた「相手待ちの待機時間」が消えてしまった。ゆっくり相手を探す時間がない。かといって実家のお見合い話に乗るのも嫌だ。ちなみに、こうした女性の典型的な嘆きは「仕事が忙しくて出会いがない」である。

 かくして、かつては共同体が担っていた「縁結び」という作業はインターネットだとか結婚相談所だとか、企業の手に委ねられることになった。

 これは突飛なことなのだろうか? 

 答えはノーである。

 かつて「家でつくるもの」だった衣服は、「外で買うもの」になった。

 今では一家の食事ですら「家で料理するもの」ではなく「お総菜を買ってきて食べるもの」になっている。

 女性のライフスタイルが変化し、その居場所が家庭から外へと軸足を移すにつれ、共同体が持っていた機能が企業化されていくというのは、実はずっと前から始まっていることなのだ。

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団塊の諸先輩方、みなさんも負の歴史と向き合えない腰抜けなの? [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

「バーダー・マインホフ」。

 おおブレネリ、何と懐かしき名前よ! 

 などと、この名前を聞いてすぐピンと来るなんて、さすがは週刊金曜日の読者、オールドレッド様でございますな。

 別名ドイツ赤軍(RAF)。1960年代末から約10年間、マシンガンと爆弾で武装、デパートや出版社、米軍基地爆破、裁判官や検事総長、財界有力者の暗殺や誘拐、ハイジャックに大使館占拠とまあ、ヤンチャの限りを尽くした左翼過激派の若人たちです。

 この バーダー・マインホフの物語をドイツ人、しかも彼らと同じ団塊世代の監督やプロデューサなど制作陣が映画にしたって言うので、すっ飛んで見に行った。彼らドイツ団塊の世代が「自分たちの世代の負の歴史」をどう映画にするのか? んで、試写が終わってワタクシごろごろ床を転げ回った。ぐわわ。ぐやじい。やられた。またドイツ人にやられた。

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「ヒトラー最期の12日間」というドイツ映画を見たときも、ワタクシは悔しさの余り映画館の床を転げ回りました。映画館を三周くらいしたところで係員に蹴り出されました。だってこの映画は「ヒトラーを人間としていいところも悪いところも公平に描く」という途方もないリスクに挑戦、見事に成功しているですよ。

「夜遅くにすまないね」「料理おいしかったよ」と女性秘書やコックを気遣い、ワンちゃんを可愛がり、時にはジョークまで言う。

 だけど戦況が自分の思い通りにならないとキレて部下に怒鳴り散らすわ、手柄は全部自分のものにして失敗は全部人のせいにするわ、ああこういう困った上司うちの職場にもいるよなあ、ヒトラーてただの困ったぶちキレおじさんやんか。とまあ、ものすごくリアリティがある。ヒトラーとて悪魔でもモンスターでもなく、愚かな人間の一人であるという意味で、私たちと連続しているんですな。それがよくわかる。

 この「自分たちが犯した負の歴史」に真っ正面から対峙しようとするドイツ映画の勇気というのはすごい。日本映画に「昭和天皇を主人公にした第二次世界大戦の映画」なんて作れるか? 

 ははははは。無理っす無理っす。同じ敗戦国なのに、戦後64年経った今でも負の歴史を直視できず「ただ家族に会いたかった」とか「ただキミのために死にに行く」とか、おセンチな少女趣味に逃げ込んでウジウジメソメソしとる腰抜け日本映画とはどえりゃあ違うがや。ぐぐぐぐやじい。私は愛国者なのでドイツ人に負けるのは腹立つぞ。がるる。

 んで「バーダー・マインホフ」。この映画、主人公たちに何の感情移入もない。アンドレアス・バーダーはただの粗暴な阿呆。ファタハの軍事キャンプでもアラブ人を見下している傲慢なヨーロッパ人。作戦がいい加減なのでリーダーのくせにあっという間に逮捕されちゃう。ウルリケ・マインホフはジャーナリストなのに勢いに流されて武装闘争に入っちゃったはいいが、逮捕されるとメソメソ泣くし、獄中で真っ先に自殺しちゃう。

 んなもん、世界同時革命なんぞ実現するわけねえだろってのに、無実の人を殺しまくり、警察との復讐合戦になって最後はお定まりの分裂と裏切り。その描写はリアルで乾き切っている。まるで「役者を使ったドキュメンタリー映画」みたいだぞ。

 で、やっぱり比べちゃうのは若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」だな。

 ははは。でもダメだわ。やっぱり。「バーダー・マインホフ」のように潔く自分の歴史と対峙した作品と比べると、「実録・連合赤軍」の方はお葬式で流す「故人さまの生前思い出ビデオ」みたいに見える。監督が実在の登場人物に近すぎたからなの?「なぜ、革命運動が仲間のリンチ殺し合いみたいな愚行に終ったのか」という歴史としての問いを徹底して突き詰められない。対象を突き放して直視できないんですな。

 やれやれ、団塊の世代の諸先輩方。昔あなた方は父親世代を「戦争責任を総括できないのはケシカラン」とデモったりアジったりして暴れてたんじゃないの? じゃあ、自分の世代が犯した負の歴史もちゃんと直視したらどうなのよ。

 日本人って、結局どの世代も負の歴史を直視できない腰抜けばかりなの? ぬおお大和魂はどうなったのだ? 

 何て吠えていたら、ヒトラー役の俳優ブルーノ・ガンツがインタビューで「日本のことはよく知らないけど、戦後処理ではドイツのほうがうまくいったみたいだねえ」などとしゃあしゃあとぬかしてけつかるのでまた憤激。ああ情けない。



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「GQ MEN たちの35歳の疑問にこたえる」 [GQ JAPAN]

Q1 35歳のとき、なにをしていましたか?

朝日新聞社の記者として「AERA」編集部で働いていました。ティーンエージャーのころからの夢だったニューヨーク駐在記者として赴任したのがちょうど35歳のときです。エンジン全開、トップギアで全速力という感じで記者の仕事をしていました。ホームレスからマイケル・ジョーダン、果ては通貨問題まで、全米を飛び回って記事を書いていました。アマゾンのジェフ・ベゾス社長やスターバックスのハワード・シュルツ社長にシアトルの本社でインタビューできたのも楽しかった。

Q2 仕事のために大きな借金はしましたか?

 朝日新聞社を休職して2年間Columbia大学のSchool of International and Public Affairsで軍事学の修士号を取ったとき(1992-94年)、2年分の学費だけで400万円払いました。世界一高いマンハッタンの家賃や食費、教科書代など合算すると800万円くらい使ったと思います。おかげで一日5ドルで生活するという赤貧ライフでした(笑)。

 借金はせずに済みました。奨学金を取り、大学でアメリカ人に日本語の授業を教えて乗り切りました(教職で働くと学費を割り引いてもらえる)。卒業したとき、帰りの飛行機代と引っ越し費用を払ったら貯金がちょうどゼロになりました。


Q3 35歳の大人なら見ておいたほうがいいだろう、という映画、本、音楽はなんでしょう

映画: スタンリー・キューブリック「フルメタル・ジャケット」「時計じかけのオレンジ」「シャイニング」「2001年宇宙の旅」「博士の異常な愛情」

 キューブリックの作品は映画という表現形態が到達しうる最高点を見せてくれます。

「生と死」「狂気」「国家と個人」「暴力」「文明」「自然科学」「戦争」といった人間にまつわる深遠なテーマが隠されていますから、見終わったあとに「文明って一体、何だ?」「科学技術は人間を幸福にしたのか?」と見た人が考えずにいられない。

 そんな日常生活に必要はないけれど、人間の本質にかかわる思考を促す入り口として、キューブリックの映画は素晴らしい。大人になったら「日常生活には必要ないけど、人間にとって重要なこと」を考えましょう。

 最近の監督ではアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「21グラム」と「アモーレス・ペロス」もパンチを食らいました。彼の作品にも「死とは何か」「人生とは何か」「運命とは何か」「罪とは何か」「許しとは何か」といった人生の深遠な命題が語られています。

 あとデビッド・リンチ監督の「マルホランド・ドライブ」とエイドリアン・ライン監督の「ジェイコズブ・ラダー」も加えておきたい。あとはスティーブン・ソダーバーグ監督の「セックスと嘘とビデオテープ」も必修。

って、ぼくに映画の話をさせたら止まらないんだって(笑)。

本:「聖書」とか「論語」とか「孟子」とか、三千年、二千年経っても読まれている本を読み始めたのが35歳ごろのときです。

 日本のマスコミ業界の一員として新聞や週刊誌の仕事ばかり10年余りやって、「一日、一週間、一年でゴミになる出版物など、もうどうでもいいや」とうんざりしました。

「数千年読まれているベストセラー」というのは、読んでみると「なるほど」と思う理由が必ずあります。

 例えば孟子の「人を愛する者は人これを愛し、人を敬う者は人これを敬う」(他人を愛する人は他人に愛され、他人を敬う人は他人に敬われる)という言葉は胸にしみ込みます。

あるいは

レイモンド・カーバー「頼むから静かにしてくれ」
チャールズ・ブコウスキー「死をポケットに入れて」
辺見庸「もの食う人々」 

 映像がメディアの主流になったこの時代でも、文章はこれほどパワフルだということをぼくに教えてくれた本。活字の持つパワーという意味で、もみぞおちに一発食らったような衝撃を受けました。

音楽:Harold Budd and Brian Eno “Plateeux of Mirror”

ロックもジャズもファンクも、あらゆるジャンルを聞きあさって、最後に到達したのがこれ。夜、ひとり静かに思考に没頭するときに適した音楽がほしかった。流れる雲のようにゆったりとした、静謐な音楽です。

           
Q4 美術館から持って帰って、自宅に飾りたい絵画は?

Jackson Pollack ”Lavender Mist”  アクションペインティングの巨匠、ポラックは実は生涯抑うつとアルコール依存に苦しんでいました。また、美術の歴史をひっくり返す変革をやっただけに「こんなのは美術じゃない」という罵倒にもさらされていた。
 ニューヨークの現代美術館でこの絵を見たとき、彼の「俺には絵を描くしかないんだ!」「誰が何といおうと、俺にはこれが美しいんだ!」という鬼気というか情念のようなものが絵の具のデコボコや画材の匂いからびりびり伝わってきた。彼のカンバスに向かうときの「自分が信じるものだけに忠実な人生」をお手本にしたくて、今もポラックの仕事中の写真を仕事場に飾っています。



Q5 人生の師、またはヒーローは誰ですか? 歴史上の人物や架空の人物でも結構です。

ミュージシャンなら、ジム・モリソンとルー・リード。学校や親より、はるかにたくさんの人生にまつわる大事なことを教えてもらいました。

映画監督や作家、画家は他で述べたので省略。

Q6 ティッピングポイント ( 人生が軌道に乗った瞬間、転機 ) はいつでしたか?

30歳。ニューヨークで「チェルシー・ホテル」を訪ねるルポを書いたとき、記者になって8年目でやっと初めて「ああ、自分で見て、聞いて、匂いをかいだ世界を文章でも再現できた」という記事が書けました。その時に初めて、この仕事でやっていける自信のようなものができた。

40歳。一生書き手でいたかったので、管理職になるのをお断りして朝日新聞社を退社。フリーランスになりました。


Q7 大人になったな、と感じた買い物はなんですか?

ティーンエージャーのころ、憧れていたけどおカネがなくて買えなかったベースギターを買えたとき(笑)。Musicman社のStingRayです。高い楽器を買うと、もったいないので必死で練習するので、若いころよりベースがうまくなりました(笑)。



Q8 親友は何人いますか? 社会人になってからも出会えますか?

 人生の重大な選択をするとき、まっさきに相談してその判断を信用できる友人は4,5人います。この年でそれくらいの人数の親友がいれば、人生大成功ではないでしょうか。

 社会人になってからでも自称「親友」にはたくさん会いました。が、朝日新聞社の肩書きがなくなったとたんにあっという間に離れていきました。なので「あ、あの人は友だちじゃなかったんだ」とわかりました。

 元より、仕事の損得がからんだ相手や、会社の同僚は心から信頼できる「親友」にはならないと思っています。しょせん仕事は利潤のために人とつながる場であり「友人をつくる場所」ではありません。

 ぼくが信頼している「親友」はぼくの職業上の肩書きとは無関係に友だちになった人ばかりです。だからこそ信頼しています。


Q9 40歳=不惑といいますが、外的内的な変化はありましたか?

「性欲」と「恋」と「愛」が厳密に区別できるようになりました。

 そして「人生はあと半分だ。これからぼくは死に向かう。人生は有限だ。欲張るのはやめよう。自分にいまできることを一生懸命やろう」とはっきり自覚しました。自分の時間や才能が無限であるかのように夢想しているのは、若い時だけで十分です。



Q10 コンプレックスはありますか?

 自分の顔が大嫌いです。写真も鏡も嫌いだ。(笑)

 冗談はさておき。

 図書館や書店に入ると、書棚を見て「オレにはまだこんなにたくさん知らないことがあるのか!」と目まいがします。

Q11 「お兄さん」から「おっさん」になってしまうのはいつなのでしょうか。

 年齢にかかわらず「自分はもう努力して成長する必要はない」「学ぶことはもうない」と思った瞬間。


Q12 35歳までに経験しておくべきことはなんでしょうか。具体的にお教え下さい。

 どこでもいいですが、日本以外の異文化の中で2-3年くらい暮らしてください。

 できれば学校へ行って学位を取るくらい激しい競争の場に身を投じるのがいいでしょう。ひとつの異文化社会の価値観を丸ごと覚えてください。

 そして、長くても5年でそこを離れてください。5年以上いると「そこの土地の人」になってしまい、驚きがなくなります。


Q13 肉体的な衰えを感じたことはありますか? また、その対処方法は?

35歳を過ぎたら、若者のように錯覚するのはやめましょう。人間は加齢とともに体力が衰えるのが自然なのです。徹夜自慢、休日返上自慢、長時間労働自慢など恥ずかしいだけです。

ティーンエージャーのころからMTBに夢中でして、今でも乗っています。都内なら山手線の内側はMTBで行きます。おかげさまでトシのわりには元気です(笑)。

Q14 海外からのゲストが東京に来ます。どこに連れて行きますか?なにをしますか?


住んでいる建物の屋上テラスから隅田川と東京の夜景が間近に見えるので、そこで少人数でバーベキューをします。ゆったりとくつろいだ会話を楽しみたい。うるさい場所は大嫌いです。



Q15 外国人に信頼されるためにもっとも大切なことはなんでしょうか。

*外国語が上手であるかどうかはどうでもよろしい。
*それより、語る内容と行動が人間にとって普遍的な価値を体現しているかどうかでしょう。例えば、平和、自由、人権、反戦、非暴力、反差別、個人の尊重、民主主義など。
*そして、日本人にはもっとも苦手なことですが、相手の意見に安易に同意せず、反駁し、議論を戦わせる勇気を持つことです。


Q16 35歳までに行っておくとよい場所、見ておくべき景色を教えてください。

Q12と同じ。学校でも仕事でもいいですから、異文化にダイブしてください。
敢えて選ぶなら、ニューヨークはあらゆる意味で最高の舞台です。
「ニューヨークでサバイバルできたなら、世界中どこへ行っても大丈夫」というのは本当です。ぼくもNYでのサバイバルがその後の人生でどれだけ自信になっていることか。あそこでの競争に比べたら、日本での経験なんて何も怖くない。
あ、景色ですか? マンハッタンの夜景は最高です(笑)。


Q17 不倫のボーダーはどこでしょうか?

ステディ以外の相手とセックスしたとき。

Q18 女の子といるときに、恋人・妻に遭遇したら、なんと言いますか?

「おお、何してんねん? ごめんな。おれ、いま仕事でこの人と打ち合わせ中やねん。これぼくのヨメですねん。べっぴんさんでしょ? あ、今日ははよ帰るわ。おみやげ何がいい? キルフェボンのタルトでええか?」

Q19 鉄板のデートスポットはどこでしょう? レストラン、イベント、観光地などジャンルは問いません。

バイクの後に彼女を乗せて、レインボーブリッジを渡りお台場を一周。あと、レインボーブリッジと東京の夜景が絶景の誰も知らない埠頭があるので、帰りはそこへ。

Q20 35歳の自分にアドバイスをするなら、なんと言いますか?

 年上のオッサンの言うことなんか信じるな。時代はもうオッサンどもが若いころとは違うんだから。

 人の評価なんかに耳を貸すな。自分の評価は自分で決めればいいのだ。自分の人生は自分で考えて自分で決めろ。

(GQ JAPAN 2009年9月号)

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