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女子会はなぜ流行る ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]


女性だけの「女子会」って飲み会とか温泉旅行とかプライベートな集まりだけの話かと思ったら、実は異業種交流会だとかけっこうプロフェッショナルな場にも広がっているのだそうだ。

まあ、ポジティブに考えることもできる。

様々な「異業種」に「女性キャリア職」がいるから「交流」できるのだ。

キャリア女性の層が厚くなり、円熟してきたということだ。いや「キャリア女性」など当たり前すぎて、言葉そのものが死語かもしれない。

とはいえ、そこまで楽観的にもなれない。

職業の世界に「性差」を軸にしたグループができるという現象は、まだ「性別」を「差」として意識せざるをえない現実があることを意味する。

男性の職業団体は成立しない。

なぜなら、日本では女性はまだ「差別される側の集団」だ。少なくとも女性たちはそう認識している。そうではないのか。

思い出してほしいのだが、女性はついこの間まで(あるいは現在でも)日本社会最多数の被差別グループだった。

能力が同じでも、女性であるというだけで、雇用はおろか、昇進や昇級まで男性より劣った待遇をされ、それが社会的にも法律的にも許されてきた。

それが「違法」になったのは男女雇用機会均等法が施行された一九八六年のことにすぎない。

私はその年に大学を卒業したので、個人的経験としてはっきり記憶している。

それまでちょっと上の世代では「オンナに(高等)教育はいらない」「大学や会社に行くより花嫁修業」などなど、タリバーンの支配国のような「常識」が堂々と通用していたのである。

こうした「被差別者」としての社会的地位はアメリカの「マイノリティ(少数派)グループ」(女性のほかアフリカ系、アジア系など非白人、同性愛者など)に似ている。

アメリカに行くと「東アジア系法律家」「ゲイの経営者」といったマイノリティグループごとの職業団体があり、ネットでリアルでネットワーク作りと情報交換に励んでいる。

差別問題が持ち上がれば政治圧力をかけたり寄付金を集めたりもする。

つまり経済や政治権力を握っている「主流派」(アメリカなら白人男性。日本なら成人男子)に対抗するためには「差別される側」は団結するのが資本主義国の現象なのだ。

日本でも、女性が職業人として早くから活躍した分野では「プロフェッショナル女子会」が昔からあった。

弁護士、裁判官、検事など女性法曹職が集まる「日本女性法律家協会」が設立されたのは一九五〇年のことだ。法曹家は試験にさえ合格すれば、男女の差別がない「資格職」の古典的な例である(他には公務員、教師、記者・編集者がある)。

その雇用機会均等法施行の1986年に大学を出て就職したのが、まさに私の学年。「均等法一期生」である。

私は48歳だから、企業なら課長や部長くらいだろうか。

つまり今も50歳弱から上の世代は均等法を知らない世代なのだ。

中間管理職以下は「ポスト均等法世代」なのに、社長や取締役などデシジョンメーカーは「プレ均等法世代」。「女性を働き手としてどう迎えるか」という感覚では、旧世代と新世代が混在しているのが日本の企業の姿なのである。

こうした環境では、キャリア女性は成功したとしても、ある疑念に悩まされ続けることになる。

どんなにがんばっても「自分から女性という要素を取り除くと、どれくらい働き手としての実力があるのだろう?」と評価が定まらないのだ。

「企業が女性差別をしていないと見せたいから、私は昇進したのか?」
「女性管理職が必要だから私は昇進したのか?」
など「オンナだから××できたのだろうか」というノイズが自己評価に絶えず混入するのだ。

これは悩ましい。

女性であることを取り除いて勝負することは不可能だからだ。

つまり、その簡単な解決法が「同じ性別だけの集団に入ってみる」つまり「女だけの職業グループ」に参加してみることなのではないか。

「女性同士だと評価が情け容赦ない」とよく言われるのは、案外そんな理由なのかもしれない。

ポスト均等法世代が定年を迎えるのは12年後だ。

ということはあと10年余りで企業の中はポスト均等法世代だけになり、社長や役員も新世代だけで固められるかもしれない。

その時には「女子異業種交流会」などする必要もないほど、性差別がなくなっているといいのだけれど。

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