あまりにイタい 小室哲哉 回顧本 [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]

大変喜ばしいことに2009年。ポピュラー音楽界は近年稀な盛況でありました。
CDの売り上げはジリ貧だがネバーマインド。連日のようにきらびやかなスターたちが新聞テレビのトップニュースを飾っていたではありませんか。
筆頭は酒井法子容疑者、じゃなかった元被告、いやいや創造学園大学生だったっけ?今年もっとも耳目を集めたビッグイベントは彼女の「ライブイン東京地裁」でしたね。
そして久々にスキャンダルじゃなくバカ売れのマイケル寂聴おっと間違えたジャクソン先生。
おおそうだ押尾学先生も健闘されました。
愛し合ってるかい忌野清志郎先生は雨上がりの夜空に昇天されベイベー、し〜れ〜と〜こ〜のみ〜さ〜きに〜ハマナスの花が咲いたら森繁久弥先生を思い出しておくれ。
チェ・ホンマンこと草薙剛先生は「裸で何が悪い!!」と人間存在の根源を問いかける哲学的名言を残されたました。
とまあ、ヒットチャートの顔ぶれがあまりに豪華絢爛で若干小物感があるのですが、忘れてはならないのがミスターJポップこと小室哲哉先生です。
さすがかつて九〇年代にCDの市場規模を倍増させた功労者、五億円の詐欺事件で懲役三年・執行猶予五年の有罪判決と、ミュージックシーンのみならずクライムシーンでもメガヒット級の業績を残されたのは今年五月でした。
その小室先生が「なぜ事件は起こったのか? 絶頂からの迷走、転落、そしてヒッパリ棒マル」と思わせブリブリなコピーで書き下ろし「罪と音楽」(幻冬舎)を出版されたのは、わずか四ヶ月後。はいはい、買い求めましたとも。
で本を手にしてのけぞった。
何やねんこの表紙。漆黒のグランドピアノに向かう小室先生のブラック&ホワイトフォトグラフィー。これだけでも人格障害ギリギリのナルシシズム臭プンプンなのですが、奥付にStylistダレソレとかHair&Makeダレソレとか、アルファベットにする必要もないクレジットが並んでいるのを見た瞬間、小生「やめて〜」と本屋店頭で叫んだ。自己陶酔がスベって痛い。メイクってスタイリストってああた、反省するならカッコつけやめるのが先決でしょーに。
まあ辛抱辛抱。本文、なかなか正直と思います。
「いつからか、音楽が動けば常にお金が動き、音楽の流れとお金の流れは近いものだと思うようになっていた」
「Jポップが幼児性を強めてしまった原因の一端は、僕にある」。
いいじゃないですか。まあ執行猶予期間中に出版する本ですから、殊勝に反省するのはお約束。自然、この本も「ファンのみなさん、嘆願書を書いてくださった方々(日本レコード協会会長とかギョーカイ大物のみなさんね)、松浦社長、千葉副社長をはじめとするエイベックスのみなさん(被害者に賠償金六億円以上払ってくれたしね)、恩情をいただいたすべての人たちに報いる」決意表明に大きな紙数を割いておられます。
しかしTK生、肝心な点では大ボケをかまし続けます。
「九〇年代、僕は、コード進行とリズムでヒット曲のスタンダードをつくった」と過剰な自己評価が出るあたりでもう激しくイタいのですが「地デジ効果により、音楽がまた景気づく」「地デジ時代を意識した半歩先のCMソングを作るなら」と、テレビタイアップという過去の成功体験から抜け出せない自説を延々と開陳されるに至っては、高度成長しか知らん昭和のオッサンの酔談のよう。「時代に付いていけません」と告白されているようで心が痛みます。
そしてなによりこの本が痛々しいのは「音楽の価値は数字で計測できる」という自分を破滅に導いた思考をまったく治癒できていない点です。
「クオリティーを求める人々は健在である」「わかりやすさだけを求めない、質を求める層は枯れていなかった」と言うは正しい。
が、なぜそう考えたのかっていうと、村上春樹の「1Q84」は発売1週間で100万部の「ミリオンセラー」を記録したからとか、辻井伸行の音楽を求める人が多数いたことはCDの売れ行きが物語っているとか、高品質テクノロジーのiPhone3GSは発売後たった3日で100万台を突破したとか、やれやれ小室先生、あなた本当に経済的数字でしかものごとの価値が理解できないんですね。
歌詞がわかりやすいとかコード進行がわかりやすいとか、そういう「わかりやすさ」が日本のポピュラー音楽の破壊をもたらしたんじゃないってわかりませんか。
「数字」というわかりやすい価値指標こそが致死ウイルスだった。それに気付かない限り「小室哲哉の破滅」という大きな犠牲も報われませんなあ。
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