由紀さおり 恐るべし! [週刊金曜日連載ギャグコラム「ずぼらのブンカ手帳」]
つくづく売文業とは因果な商売よなあと思ひしはコンサアトに足を運びし時也。
善男善女手を取り合い歌舞音曲に身を委ね慰撫愛撫に興ぜし折も、我監視兵の如く双眼鏡を握り絞め歌手の表情を鋭意観察せざるを得ず。
何故なら如何なる永年歌手も歌唱誤むれば表情一瞬歪みたり。歌ふ途中集中力途切れし瞬間目線泳ぎたり。さういふ現場数々踏みたるに、焉んぞ歌の巧拙分からずを得ん也。
が剣呑、最近は南蛮渡来イヤモニって飛び道具があるから油断なりませんぞご同輩。
イヤモニ。ってタバコ吸ってクビになった加護亜依がいたモーニング娘。の分裂セクトではなく「イヤーモニター」って、爺の補聴器みたいに耳にすっぽり入るモニターイヤフォンてのがあるんですな。しかもワイヤレスですからコードもない。
ぱっと見わからない。こん中にバックバンドの演奏はおろか、リズムクリックや場合によっちゃ歌メロまで流れるから要するにカラオケと同じ。あげくは「あと4小節でギターソロ入ります」なんて指示まで流れる。
ははは。最近の「アーティスト」は歌がうまいはずだわ。
そんな痴れ事まみれの土曜昼下がり、人に勧められ電車で二時間かけて湘南・厚木まで行って見たのが由紀さおり。
で例に拠ってショウの間ずっと双眼鏡握りしめて由紀さおりの顔を観察するんだが、これがびっくらこいたわ。
だって完璧なんだもん。御歳六十一歳、異説には六十三歳だか、まあどっちでもいいや、休憩十五分挟んで三時間歌いっぱなしなんて、エイベックスのねーちゃん歌手でも最近やらんぞ。で、この三時間で、三十曲くらい歌ったかね、由紀女史。
音程、リズムともただの一個所も狂わない。
あんまり完璧なんで口パクじゃねーのかと思ったくらいだ。いやいや音程とリズムだけじゃない。音を伸ばす長さ、息継ぎのタイミング、クレッシェンドとデクレッシェンドの緩急、どれも一点のミスもない。
なおかつ。手の動かし方や立つ位置や角度、視線の方向、顔の向き、マイクの持ち方と、何とかアラ探しするんだが、だめ! わし降参!
じゃあね、感情のないロボットみたいな歌い方みたいに思うでしょ?
それも違うんだな。ショウの幕間で女優さんが出てきて、ステージママだった母親との思い出を演じるシーンがありまして、その後に由紀女史が「あなたと出会った幸せ」を歌うんだが、母を思い出したかボロボロ涙を流し始めた。
ウソじゃないよ。わしゃ双眼鏡ではっきり見たぞ。でも歌がまったく乱れないのだ。がるる。
いや、訂正。一個所だけミストーンを出したのに、わしは気付いた。
アンコールのおり「真綿のように」を歌っている由紀女史の頬にまた涙が幾筋も流れ落ちる。もうアラ探しはいいやと思ったら、一回だけ「スン」と鼻をしゃくり上げる音をマイクが拾った。
この「スン」。
スン。
ただ「スン」だけが、三時間のショウでたった一回のミストーンだった。だがこのスンのおかげで後は口パクでも何でもない生歌だと断言できるのですよ。
もうお気付きだと思うけど、私は由紀さおりがイヤモニを付けていないか、必死で探した。
何度も何度も見た。が、ない。バックバンドのナマ音と床上のモニタースピーカーだけというオールドファッションなステージにマイク一本持ってぴんと立っている。うわーかっこええやんけ。
るーるるるーるーるるるーって「夜明けのスキャット」で彼女がスターになったのは一九六九年でしたか、そのころからポピュラー音楽は「シンガーソングライター」って歌手と作詞作曲家兼業ってのが流行りになりまして、専業シンガーに専業ソングライターが曲を提供する分業制度は「歌謡曲」と呼ばれ「つくりすぎ」と若者の侮蔑の対象にさえなったのです。
でも「つくりすぎ」の「つくり」には、プロの歌手としてのスキルは死守するという気概も入っていた。
で、四十年。ふと振り向けば「歌謡曲」にアレサ・フランクリンやエディット・ピアフにも匹敵するようなシンガーがごろごろいるのに気がついて唖然とするのです。
「再評価」なんて失礼なことは口が裂けてもよお言わん。だって由紀さおりは四十年間ずっと歌い続けてるから。
「アタシはずっと評価されてんのに再評価って何よバカ若造」と叱られそうな気がする。
すみません。
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