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ニューヨークはもう最先端音楽の街じゃない ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

070611燃え尽きるニューヨーク
 大学院に2年通い、記者としても長く取材フィールドになったニューヨークは、ぼくの第二の故郷だ。だから一年に一度は「帰省」しないと気持ちが悪い。

 30歳のころ、自分の感性の非常に重要な部分があの街でつくられたので、ときどき帰って「ネジ」を締め直さないと、度数が合わなくなったメガネをかけ続けているようで気持ちが悪いのだ。

「帰省」だから、航空券の一番安い2月ごろがいい。あちらはマイナス20度の厳冬だ。でもそこがいい。観光客がいないから。よそ行き顔のニューヨークは、ない。ニューヨーカーたちのすっぴんの「生活」だけがそこにある。

  大学院時代の仲間やジャーナリストの友だちに会って、メシを食っておしゃべりをする。美術館(MoMAかホイットニーがいい)へ行ってぼんやり絵を眺める。そして夜。安いピザを腹に押し込んで、ライブハウスに出かける。

 なにしろ「世界の音楽の都」である。毎晩なにがしかのビッグ・ネームがコンサートをやっている。「スィート・ベイジル」や「ブルー・ノート」なんて名門クラブにくり出す手もある。けど、そんなことはもう飽きた。

 本当におもしろいのは、誰が出ているのか、何の前知識も持たず、小さなライブハウスにふらりと入ることだ。「CBGB」や「ニッティング・ファクトリー」は、有名になりすぎてつまらない。平日の「トニック」とか「バワリー・ボールルーム」なんかがいい。

 で、今年の2月もそんなふうにライブハウスをハシゴして、愕然とした。出てくるバンド出てくるバンド、ことごとくつまらないのである。マンハッタンに通って10年以上になるけど、こんなことは初めてだ。

 ステージをじっと見ていて、はっと気が付いた。どのバンドも、アップルのラップトップPCをステージに持ち込んでいるのだ。マックでリズムトラックやサウンドエフェクトを鳴らし、それをバックにギターを弾いたり叫んだり。音は大仰だけど、芸がない。個性がないのだ。

 よく考えれば当たり前だ。PCに入っている音なんて、しょせんはどこかで買った既製品程度の音でしかない。どれもこれも似たような音ばかり。退屈で死にそうだ。PCの音なら、世界のどこで聞いても同じだろ? 何でこんなことになったんだ?

 さて、話は変わって。証券会社でアナリストをやっている大学院仲間のクリス(女性)が、中古マンションを買った。

 イーストビレッジに2ベッドルーム(3LDKくらい)というから、70万か80万ドルの高級物件だ。こんな買い物ができるクリスは、マンハッタンでもれっきとした「勝ち組」だ。

 90年代後半の好景気で、マンハッタンの不動産価格はほとんど倍近くに高騰した。ステューディオ(ワンルームマンション)の家賃が2〜3000ドルなんて、今じゃざらだ。貧しいアーティストたちはもうマンハッタンには住めない。

 マンハッタンのマンションには「コーポラティブ」という不動産形態がある。これだと、建物全体が入居者組合の財産になる。マンションは入居者全員の財産なので、誰を入居させるかは住民組合に決定権がある。物件を購入しても、入居の審査にパスするのに数ヶ月かかることもざらだ。

 クリスは、マンションの組合が入居をなかなか許可しないと嘆いた。1億円の預金残高証明書を提出したのに、財産が1億円程度では「入居にふさわしいお金持ち」には該当しないというのだ。

 一体何の冗談なの? ぼくは聞いた。
 この街を見てよ。クリスは言った。

 ぼくがいた90年代に低所得者が住んでいたレンガ造りの古いアパートは、片端から取り壊され、ピカピカのマンションになっていた。家族経営の喫茶店やパン屋は、大資本のチェーン店ができ、消えていった。マンハッタンはいつの間にか、証券会社や銀行員、弁護士といった「勝ち組」ばかりが住む、こぎれいなだけの薄っぺらな街になっていった。

 世界一の金持ちと世界一の貧乏人がすれ違う。そんな多様性が十数年前のマンハッタンにはあった。それがこの街のダイナミズムだった。そんな摩擦から、スリリングンなアートが生まれた。そんな、衝突音のような音楽が好きだった。

 やれやれ。ぼくが愛したニューヨークは、もう死んでしまったのかもしれない。

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