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33ヶ月ぶりに「ぼさーっと」した [オリコン裁判]

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いつも都内の移動に乗り回しているMTB(マウンテンバイク)のブレーキワイヤーが伸びてしまったので、近所のバイシクルショップ(要するに自転車屋ですな)に修理に持っていった。

「これは1時間ほどかかりますね」

店のお兄ちゃんにそう言われてチャリを預けてしまうと、次の用事を片づけようにも移動の手段がないことに気付いた。しょうがない。あきらめた。

ふと、カフェがあることに気付いた。

じゃあ、本でも読むか。

カプチーノのミディアムを受け取って、テラス席に腰を下ろす。

そして本を開いた瞬間、脳がまったく働かないくらいの疲労感がどっと押し寄せてきた。

一体、どうしたんだ?

目は活字を追っているのだけど、その「意味」が全然頭に入ってこないのだ。

わかってもらえるかな。

「文字を読んでいる」ではなく「文字を見ている」という感じなのだ。

しょうがないので、本をカフェテーブルに放り出して、ただぼんやりと、前を通りすぎる人々を眺めることにした。

脳のハードディスクが停止して、プログラムが何も作動しない。

そこで気がついた。

オリコン裁判のせいで、ずっと「ただぼんやりする」という時間が、33ヶ月なかったことを。

「ねえママ、キンニクエンってなーに?」
「筋肉炎てのはね、体が疲れることなのよ」

隣のテーブルの女の子がお母さんと話す声が耳にはいってくる。が、それはただ「音」として脳に届いているだけだ

キ。ン。ニ。ク。
ニンニク。
ブタニク。
シンジュク。
ソントク。

何だそりゃ?

ぼくの脳は、言葉の意味を理解することを拒否していた。

もう俺は疲れた。休む。これ以上働いたら、こわれてしまいそうだ。

ぼくの脳はそう言って「強制休止」に入っていた。

そうだ。

1年ぶりの夏休み、プールに飛び込んだこどもが水のひやりとした感触を思い出すように、ぼくの脳はあの動作を思い出していた。

「ただぼんやりする」という動作を思い出していた。

オリコンがぼくを名誉毀損で提訴してから、ぼくの脳は「ぼんやりすること」を許されなくなった。

「△さんの証言は弁護士に話したっけ?」
「法廷に×月×日の行動は証拠提出されていたかな?」
「帰ってメールで確認することは、あれとあれとあれと、後は何だっけ?」

いつもいつも、脳がフル回転していた。

それを「心配事」とか「気掛かり」とか「心の重荷」と日本語ではいうのだろう。

オリコンが裁判をぼくに起こしたとき、彼らはこう言った。

「烏賀陽は事実誤認に基づいて根拠のない誹謗中傷をオリコンに繰り返した」

その瞬間から、この裁判は、ただの裁判ではなくなった。

ぼくがいちばん大切なものを争う裁判になった。

それは「記者としての職業生命」というやつだ。

それはぼくが生きてきた中で、いちばん大切にしてきたものだ。

例えば、自分の子どもがいる親なら、自分の子どもを傷つけたり、命を奪おうとするものには、必死で、あらゆる犠牲を払ってでも、抵抗するだろう。

それと同じだ。ぼくにとって「書き手としての信用」は子どもと同じくらい大切なものだ。

この裁判は、すべてが自分の職業生命をかけた勝負なのだ。一点のミスも許されないのだ。

子どもを誘拐された親が夜も眠れなくなるように、ぼくは33ヶ月間、一瞬も心が休まることのない時間を送ることを強制された。夜は眠れず、寝てもすぐに目が覚めた。昼間はいつも裁判の段取りのことばかり考えていた。何か忘れていないか、いつもいつも気がかりだった。

そして33ヶ月が経って、裁判はオリコンが自滅して終った。

ぼくの大切な子どもは、誘拐されたけれど、無事に帰ってきたのだ。

その瞬間が来て、ぼくは思い出した。ぼくが33ヶ月間、何を失ったのかを。

それは「ただぼんやりとする」ということだ。
それは、脳がゆっくり休んで、次の日のためにエネルギーを取り戻すことだ。

それを失うことが、どんなにつらいことか。

ぼく自身、忘れていた。「ぼんやりすること」がどんなに心地よいことか。

きょう、この街角のカフェで、それを思い出した。

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