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過労死する「勝ち組」たち ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]

 神様、あなたは一体何を考えているのだ。

 去年の大晦日、高校の同級生Hが死んだ。

 一人暮らしのマンションの寝床のなかで、眠ったまま彼の心臓は止まった。背丈180センチ。ラグビーグラウンドを疾走する彼の姿はかっこよかった。25年経っても、コンサートのライティングという華やかな仕事で全国を走り回る姿は、文字通りまぶしかった。

 コロンビア大学院の後輩、38歳のNも年の瀬に死んだ。NHKの記者だった彼は、10年ほど前「ぼくもアメリカの大学院に留学したいんです」と面識もないぼくに広島から電話をし、東京までぼくに会いに来た。まさかと思っていたら、本当にNHKを辞め、NYで修士号を取り、トーキョーに戻って外資系証券会社のアナリストになった。あっという間にチーフになり、バイスプレジデントになった。

 よく覚えている。汐留の高層マンションにある友だち宅でホームパーティーをやったとき、ワイン片手の彼は饒舌だった。肉体的にはきついが仕事は楽しくてたまらない。テレビを辞めて留学して、本当によかった。あれは蒸し暑い夏の夜だった。翌年、彼の体にがんが見つかり、半年後、鉛のような冬の空を、彼は旅立っていった。

 新聞社の同期入社仲間Sは、大阪から東京に転勤して、記者なら誰もが憧れる社会部デスクになった。ぼくの月島の家から100メートルのところにマンションを借りたので、「もんじゃ食って、遊ぼうな」と約束していた。だけどとうとう実現しなかった。「健康のため」と始めた自転車通勤の途中、会社まであと信号ふたつの交差点で、何の前触れもなくSはぱったりと倒れ、30分後には心臓が止まっていた。

 若白髪の坊ちゃん刈りで、ダサいセルの丸めがねをかけたSを、ぼくはよくからかった。「『極めてかもしだ』(山本直樹のまんが)そっくりやな、お前」と。ぼくは未明の病院の霊安室で、彼の白髪頭を撫でた。「ほんまにおつかれさん、かもしだ」。ぼくの目から涙がばらばらと落ちた。

 外資系生保会社のエリート営業マンだったTは、Hと同じように高校の同級生だった。仕事に来ないことを心配した同僚が、彼の一人暮らしのマンションに入ると、Tはトイレの前の廊下に倒れ、携帯電話を握りしめたまま硬くなっていた。

 テニス部のエースで、鹿のようにやさしい目をしたTは、女の子にモテモテで、ぼくはよく羨望の目で見上げたものだ。けれど、25年が経って、直径1ミリもない彼の脳の血管は、まるで安物のゴムホースのように突然破れた。

 そして最近また、新聞社時代の尊敬していた先輩がひとり、海で入水自殺した。ぼくより4歳くらい上だったと思う。論説委員までやったのに、偉ぶらない。その見識と職能の高さにぼくは心から敬服していた。知らせの電話を受けたとき、冷たく暗い水に沈んでいく彼の姿が浮かんで、胸がぎりぎりと痛んだ。

 おい、これは一体、何なんだ。どうしたっていうんだ。

 Nは六本木だったか赤坂だったか、とにかく家賃が中古車一台分するような、会社近くのマンションに住んでいた。「さすが外資系は違うなあ」とからかうぼくに、彼は真面目な顏で言い返した。「だって、朝7時から朝4時まで働いているんですよ。通勤なんて無理ですよ」。そして冗談まじりに笑った。
「テレビ記者の方がラクだったなあ」。

 Hは大晦日まで仕事をしていた。ほとんど休みなんかないと言っていた。Sはトリノ五輪の担当責任者だった。彼も毎日会社にいた。休むのは罪悪だ、とでも言うかのように。Tは毎晩接待の席を走り回り、土日にはお花見やピクニックの世話をした。だからみんなTが好きだった。

 彼らは、みんな職業的スキルを持ち、そして高収入だった。世間では彼らを「勝ち組」というのだろう。でも、ちょっと待ってくれ。ぼくはその「勝ち組」「負け組」という分類そのものが、好きじゃない。

 ぼくの周囲だけで「勝ち組」がこれだけ過労死している。彼らは収入は高いけど、その分、常軌を逸した働き方をしていた。外資系は特にそうだが、業績を上げないと、すぐにクビか、給料カット、降格が待っているからだ。落ちれば地獄のタイトロープの上を、彼らは全力で走っていた。

 彼らは「勝った」のだろうか。今の日本に、本当の「勝ち組」なんているのだろうか?



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