日本の自称アーティストさん、イスラム原理主義者の暗殺リストに載る勇気ありますか? ["NUMERO Tokyo"(扶桑社)連載コラム]
仮に、あなたがデビューして10年以上を経たロックミュージシャンだったとしよう。
ミリオンセラーのレコードを何枚も出し、実力や名声は世界のすみずみに知れ渡っている。お金には何の不自由もなく、誰もがあなたをほめる。そんなとき、あなたは自分をわざわざ銃口や爆弾の前に曝すような危険に飛び込むだろうか? それも、さして有名でもない老作家のために。
1993年.そのころぼくはニューヨークにいて、浮世離れしたアイビーリーグの大学院で学術書ばかり読む生活をしていた。図書館でのレポート書きにも疲れ果て、何気なく拾い上げたタイムだったかニューズウィークだったかを開いて、驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになった。
U2のボノが、サルマーン・ルシュディーと肩を組んでいる写真がデカデカと出ているじゃないか!
これが何を意味するか、おわかりだろうか。ルシュディーは、誰あろう小説「悪魔の詩」を書いたインド系イギリス人作家なのだ。
1989年 2月、 イラン の最高指導者アーヤトッラー・ホメイニー は、この「悪魔の詩」はイスラム教を挑発し、冒涜したものだとして、ルシュディーに死刑宣告を言い渡していたのだ。
この死刑宣告はイスラム法の解釈としての権威を持つファトワー (fatwa)として宣告され、とあるイランの財団 がファトワーの実行者に高額の懸賞金(日本円に換算して数億円)を出す、とまで宣言するおまけ付きだった。
この死刑宣告の恐ろしいところは、ルシュディー氏本人以外にも、出版や翻訳に携わった者全てに適用される点だ。日本では翻訳者の五十嵐一・筑波大助教授が91年に咽を数回掻き切られるという残虐な方法で殺害された(06年7月に時効が成立)ほか、翻訳者への襲撃は枚挙にいとまがない。
トルコでは翻訳者の集会が襲撃されて37人が暗殺され、イタリア、ノルウエイなども合わせると40人近くが死傷している。(なお、ホメイニーは89年に死去。ファトワーの撤回は行われなかった。ファトワーは発した本人以外は撤回できないので、撤回することができないまま今日に至っている)
そんな中、写真だけならまだしも、U2はあろうことかルシュディー氏の詞を自分たちの曲にして発表までした。「出版や翻訳」に加わったのである。これはすなわち、自ら進んでイスラム原理主義者たちの暗殺リストに載ることに他ならない。
これには、おったまげた。慈善だチャリティだと口にするミュージシャンは掃いて捨てるほどいる。が、その中でボノは、たった一人命がけで、宗教による表現の自由の弾圧に抵抗することを宣言していた。表現の自由はおれたち芸術家の命だ。ルシュディーを殺すならおれも殺してみろ、と。
ぼくはため息をついて雑誌を閉じた。ボノの、この「表現の自由を侵すもの」に対する敏感さは、一体どこから来るのだろう、と。こういう「力強い良心」を持つミュージシャンを生むアイルランドやイギリスが羨ましい、と思った。アメリカでは、ビースティー・ボーイズが仕掛けた「フリー・チベット・コンサート」の例がある。
英語で「見解が分かれる」ことをcontroversialという。ボノの例だって、ビースティーの例だって、そう。賛否はともかく、人々は「悪魔の詩」についてだけでなくイスラムについて、表現の自由について、中国のチベット自治区の人権問題について関心を持ち、考えるようになった。ポピュラー音楽には、そんなcontroversialな領域に踏み込み、議論すべき問題を社会に提起する力がある。
もちろん日本にも「チャリティー・コンサート」はある。曰く「エイズ撲滅」「環境保護」「戦争反対」等々。いや、大いに結構。みなさん善意でやってらっしゃる。やらんよりやったほうがよっぽどいい。でも、何だか、どれも「とっくに社会で合意済みの話」じゃないか。田舎の中学の弁論大会かね。
日本では、いじめられ、自殺を考える中学生を励ます歌を誰も出さないのは、なぜなんだ。親に虐待される子どもの絶望を代弁して歌う人がちっとも出て来ないのは、なぜなんだ。日本の自称「アーティスト」さんたちよ、何で、そんなに静かなんだ?
ミリオンセラーのレコードを何枚も出し、実力や名声は世界のすみずみに知れ渡っている。お金には何の不自由もなく、誰もがあなたをほめる。そんなとき、あなたは自分をわざわざ銃口や爆弾の前に曝すような危険に飛び込むだろうか? それも、さして有名でもない老作家のために。
1993年.そのころぼくはニューヨークにいて、浮世離れしたアイビーリーグの大学院で学術書ばかり読む生活をしていた。図書館でのレポート書きにも疲れ果て、何気なく拾い上げたタイムだったかニューズウィークだったかを開いて、驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになった。
U2のボノが、サルマーン・ルシュディーと肩を組んでいる写真がデカデカと出ているじゃないか!
これが何を意味するか、おわかりだろうか。ルシュディーは、誰あろう小説「悪魔の詩」を書いたインド系イギリス人作家なのだ。
1989年 2月、 イラン の最高指導者アーヤトッラー・ホメイニー は、この「悪魔の詩」はイスラム教を挑発し、冒涜したものだとして、ルシュディーに死刑宣告を言い渡していたのだ。
この死刑宣告はイスラム法の解釈としての権威を持つファトワー (fatwa)として宣告され、とあるイランの財団 がファトワーの実行者に高額の懸賞金(日本円に換算して数億円)を出す、とまで宣言するおまけ付きだった。
この死刑宣告の恐ろしいところは、ルシュディー氏本人以外にも、出版や翻訳に携わった者全てに適用される点だ。日本では翻訳者の五十嵐一・筑波大助教授が91年に咽を数回掻き切られるという残虐な方法で殺害された(06年7月に時効が成立)ほか、翻訳者への襲撃は枚挙にいとまがない。
トルコでは翻訳者の集会が襲撃されて37人が暗殺され、イタリア、ノルウエイなども合わせると40人近くが死傷している。(なお、ホメイニーは89年に死去。ファトワーの撤回は行われなかった。ファトワーは発した本人以外は撤回できないので、撤回することができないまま今日に至っている)
そんな中、写真だけならまだしも、U2はあろうことかルシュディー氏の詞を自分たちの曲にして発表までした。「出版や翻訳」に加わったのである。これはすなわち、自ら進んでイスラム原理主義者たちの暗殺リストに載ることに他ならない。
これには、おったまげた。慈善だチャリティだと口にするミュージシャンは掃いて捨てるほどいる。が、その中でボノは、たった一人命がけで、宗教による表現の自由の弾圧に抵抗することを宣言していた。表現の自由はおれたち芸術家の命だ。ルシュディーを殺すならおれも殺してみろ、と。
ぼくはため息をついて雑誌を閉じた。ボノの、この「表現の自由を侵すもの」に対する敏感さは、一体どこから来るのだろう、と。こういう「力強い良心」を持つミュージシャンを生むアイルランドやイギリスが羨ましい、と思った。アメリカでは、ビースティー・ボーイズが仕掛けた「フリー・チベット・コンサート」の例がある。
英語で「見解が分かれる」ことをcontroversialという。ボノの例だって、ビースティーの例だって、そう。賛否はともかく、人々は「悪魔の詩」についてだけでなくイスラムについて、表現の自由について、中国のチベット自治区の人権問題について関心を持ち、考えるようになった。ポピュラー音楽には、そんなcontroversialな領域に踏み込み、議論すべき問題を社会に提起する力がある。
もちろん日本にも「チャリティー・コンサート」はある。曰く「エイズ撲滅」「環境保護」「戦争反対」等々。いや、大いに結構。みなさん善意でやってらっしゃる。やらんよりやったほうがよっぽどいい。でも、何だか、どれも「とっくに社会で合意済みの話」じゃないか。田舎の中学の弁論大会かね。
日本では、いじめられ、自殺を考える中学生を励ます歌を誰も出さないのは、なぜなんだ。親に虐待される子どもの絶望を代弁して歌う人がちっとも出て来ないのは、なぜなんだ。日本の自称「アーティスト」さんたちよ、何で、そんなに静かなんだ?
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